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2008(平成20)年度入学式 式辞

2008年4月4日

本日晴れて、平成20年度大阪市立大学入学式に出席された学部学生1,688名、大学院学生734名の皆さん、そしてこの日を心待ちにしてこられたご家族の皆さま、ご入学おめでとうございます。大阪市立大学学友会の竹山副会長をはじめ関係各位のご臨席を賜り、平成20年度の入学式を挙行できますことは、本学にとりまして誇らしく、大きな喜びであり、教職員ならびに在学生とともに、皆さんが本学の構成員となられたことを心より歓迎いたします。

さて、皆さんが今日から入学される大阪市立大学は、今年、創立128周年を迎える長い歴史と伝統を持ち、市立の大学としては我が国で最も歴史が古く、公立大学として最も規模の大きい大学です。大阪市内に位置する唯一の総合大学でもあります。今日から皆さんの母校となる、この大阪市立大学の建学の精神からまずお話しておきたいと思います。

本学の淵源は1880年(明治13年)に、西区の立売堀に設けられた「大坂商業講習所」に遡ることができます。その後、幾多の変遷を経た後、1928年(昭和3年)に大阪商科大学に昇格いたしました。この商科大学への昇格までの道程はきわめて厳しく、政府・文部省の承認を得るために、多くの先輩の苦闘がありました。当時、市町村は道府県の下級機関とみなされ、そういう自治体が、国が行政責任を負うべき高等教育を分担する資格はないと考えられていたと同時に、自治体が国と異なる理念で大学を持つことを政府が恐れたからです。

政府との交渉を繰り返し、晴れて大学に昇格したとき、市長・関一は開設にあたって、「市立商科大学の前途に望む」と題する一文を草し、商大設立の意義と理念を述べました。そこには3つの意義が記されています。第1に、大学を大都市に必要な精神文化の中心的機関と位置づけたこと、第2に、そのためには市民の力を基礎として市民生活に密着した大学、すなわち、国立大学の「コッピー」ではない大学でなければならないこと、第3に、大都市・大阪を背景とした学問の創造、を大学の任務としたことです。関一によって示された大阪商科大学の理念は、現在でも輝きを失うことなく、本学の理念として継承され、研究・教育・社会貢献のあり方を方向づけております。大阪市立大学に今も脈々と流れる自由と進取の気風、そして在野の精神は、本学のこのような生い立ちと無関係ではありません。本学の教育目標は、都市・大阪を背景とした市民の大学という理念に立脚し、人類の幸福と発展に貢献するため、さまざまな分野において指導的役割を果たし、社会で活躍する人材を育成することにあります。

戦後の学制改革を経て、現在では、8学部、大学院10研究科を持つに至っています。すでに、9万人の人材を世に送り出し、皆さんの先輩は、わが国を代表する多くの企業をはじめ、官公庁や教育界、国立や公立の研究機関、さらに大学・研究所など、さまざまな分野の第一線で活躍されています。文字どおり公立大学の雄であり、名実ともに充実した都市型総合大学として、さらに大きく発展しようとしております。

以上、本学の歴史と設立の経緯をお話しましたが、歴史というものは実に重みのあるもので、それを学ぶことはきわめて大切なことです。歴史は、単に過去の歩みを知ることだけではなく、現在を考え、そして未来の方向を見定めるのに有益だからです。イギリスの歴史学者であり政治学者でもあったE.H.カーに、「歴史とは過去と現在との対話である」という有名なことばがありますが、この対話こそが人間が自身のことを内省し、人間の叡智を生み出す源となるのです。本学の歴史を顧みるとき、先人たちの先覚性に驚嘆すると同時に、理想の実現に向かう、その行動力に感動せずにはおられません。その感動は、ともすれば現状に安んじて惰性に流れがちな心に新たな活力を与えてくれます。

本学の歴史については、わかりやすい市大の通史としてコンパクトにまとめられた『大阪市立大学の125年-1880~2005年-』を刊行しました。来週7日に開催される各学部のガイダンスの際に皆さんに差し上げます。本書を通じて、大阪市立大学がどのような大学であったのかを知っていただき、その歴史を共有し、市大との絆をいっそう深めていただき、本学のユニークな歴史と伝統を誇りに思うと同時に、当時の大阪市民の気概に敬意を払い、現在も大阪市民の大学として265万の市民によって支えられているということをよく認識し、市民に親しまれ、市民の誇りとなる大学生活を送っていただきたいし、私たちもそういう大学になるよう力を尽くしたいと思います。

さて、今日の入学式は、本学においてそれぞれの高い志を果たすべく意欲を燃やしている皆さんが一堂に会し、これからの大阪市立大学での勉学と生活について期するところを再確認する場でもあります。大学生活は人生の中でもっとも自由な生活を享受できる稀有な時期であり、これまでの受験勉強から解放され、自らの可能性を探ることのできる非常に恵まれた期間です。それだけに、これからの在学期間をどのように過ごすかが、皆さんの今後の人生を左右するといっても過言ではありません。常に初心に帰り、いまの緊張と意気込みと謙虚さを忘れないようにして、悔いのない学生生活を送っていただきたいと思います。そのために最低限、心していただきたい事柄がいくつかありますが、今日はそのうちの二つについてお話いたしましょう。

一つは勉学に対する心構えです。大学における教育や学問の探求について知っていただく必要があります。皆さんがこれまで受けた教育は、学校の先生が教えてくれたことを覚えたり、教科書に書かれた既存の知識を正確に理解したりすることに主眼が置かれてきました。しかし、それはややもすれば、権威者が述べた事を絶対的なものと考え、吟味せずに杓子定規に振りまわす態度を形成させることにもなりかねません。皆さんにはこれから、そういう勉学態度を捨てることが要求されます。大学では、皆さんが高校までに受けた教育とは違い、自分で問題を見つけ、自分で思考し、結論を導くという主体的な勉学姿勢が要求されます。大学は、そのための学び方を教えるところであって、単なる知識を授けるところではありません。皆さんはそれぞれ潜在的な能力を秘めています。その能力を十分に引き出して、皆さんのこれからの長い人生に資する教育結果を残すことは大学の義務であります。しかし、その義務を私たちが果たすことができるか否かは、皆さんのこれからの努力にもかかっている、ということを深く心に刻んでいただきたいと思います。

主体的な勉学には読書が欠かせません。本を読んで心を動かされることは実に楽しいことです。しかし、その楽しみは、受け身な読書態度では味わうことができません。読書は本来積極的な行為で、書物と自分との間に距離を置きながら、著者が問いかけている事柄に対して、読み手として応答するという側面があります。ここでも、先にお話した「対話」が大切となります。読者が想像力を働かせながら著者の精神と対話し、これまでの自らの精神が気づかなかった世界を発見できる喜びは何ものにも変えがたいものです。学問とは、そういうことが喜べる世界です。そうした態度は、皆さんの知識に深みと広がりを与え、観念に過ぎなかったことがより具体性を帯び、創造的な活力や感性、心の豊かさを育んでくれます。豊かな教養を身につけ、自然や生命を大切にするような思いやりのある人間性を練磨することが大学教育の目的のひとつでありますが、教養とは、まさしくそのような勉学態度をとおして涵養されるものであります。幸い、本学には全国に誇る情報の館、「学術情報総合センター」があります。ある大手の教育産業が全国の大学生を対象に行った調査によれば、図書館の本の利用度は本学の学生諸君が全国第一位です。皆さんも先輩に負けないように、学情センターに足しげく通い、読書に励み、自らの可能性を探り、本当に自分が情熱を注ぐことができるものを模索してください。

二つ目は、よき師とよき友を見つけることです。中国は古く五代の時代の学者、法眼文益(ほうげんぶんえき)に「夫(そ)れ参学の人と為(な)りて、既に叢林(そうりん)に入れば、須(すべか)らく善知識を択(えら)んで、次に朋友に親しむべし。知識は其の路(みち)を指さんことを要し、朋友は其の切磋を貴(たっと)ぶなり」(『宗門十規論』)という言葉があります。そもそも修行の道場に入った以上は、まず正しいすぐれた指導者を選び、次に修行するうえでよき友と親しくしなければならない。指導者を選ぶのは、修行者の進むべき正しい方向を指し示してもらうことに必要であるし、修行上の善友と親しむのは、友人と切磋琢磨して向上することを尊重するからである、というのです。

「既に叢林に入れば」とありました。皆さんはすでに、この大阪市立大学に入学し、これから学問を志そうとしています。本学を選択され、合格を果たすに至るまでのそれぞれの経緯は、もはや問題ではありません。皆さんはいまここに、学問に専念する覚悟を持って同じスタートラインについたのであります。そのうえで、二つの要点が述べられています。

第一は指導者を選ぶことです。昔、雲水はよき師を求めて、諸国を行脚したそうです。よき師に出会うためには、まず、誰が自分にとってよき師であるかを判断する力が、求める側になければなりません。それには、平素から求める姿勢と感じ取る力がなくてはなりません。また、人との出会いを大切にする心がけがなくてはなりません。本学は754名の優れた教員を擁し、それぞれの分野で活躍されています。しかし、皆さんの個性と要求はそれぞれに違いますので、それに適った師を見つけなければなりません。どの先生も学生諸君の質問に大歓迎で応対してくれるはずです。授業の場で、あるいは研究室を訪れて、どしどし質問してください。そして、皆さんの能力を引き出してくれる師を得たからには、師のすべてのよさを吸収してください。

第二は友人の選択です。多くの先輩方は、大学で生涯の親友を得ています。皆さんも、初心を貫くうえで励みとなり、自己の向上にプラスとなるような友人を得て、切磋琢磨して、生涯の友となるよき友と親しんでくださることを願っています。大学は教育の場であると同時に、広い意味での文化を体験する場でもあります。その場の一つとして、本学では勉学のみならず、課外活動への参加を奨励しています。課外活動に参加することをとおして、OBや先輩・後輩との人間関係を学び、リーダーシップを身につけ、いろんな課題を解決する過程で総合的な判断力を学ぶことができます。

21世紀の世界と社会はますますグローバル化が進むとともに、価値観が多様化し、競争が激化していくことでしょう。そうしたなかにあって、学部学生の皆さんには、基本的な専門知識を修得することに加えて、総合的な判断力と豊かな人間性を備え、社会に積極的に参加する市民的公共性をもった人に育っていただきたい。大学院学生の皆さんには、それに加えて、それぞれの学問領域を深く追究し、さらには学際領域にも応用展開できる創造力ある研究を行なっていただきたい。そして、卒業・修了後には、それぞれの職場でリーダーシップを発揮していただきたく思います。そのための練磨の場がこれからの学園生活です。

最後に、有意義な学生生活・研究生活を始められることを念願して、ゲーテの詩を贈ることによって私の式辞を閉じることにいたします。

はるかな世界と、広い生活を、
長い年々の誠実な努力で、
絶えず究め、絶えず探り、
完了することはないが、しばしばまとめ、
最も古いものを忠実に保持し、
快く新しいものをとらえ、
心は朗らかに、目的は清く、
それで、一段と進歩する。

(詩集『神と世界』の序詞)

本日はおめでとうございました。

以上

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2007(平成19)年度卒業式・修了式 式辞

2008年3月24日

皆さん、ご卒業・修了おめでとうございます。長年にわたりご子息・ご息女を支えてこられたご家族の皆様にも心からお祝いを申し上げます。本学にとりましても、 関係各位をはじめご来賓の皆様方のご臨席を賜り、平成19年度の卒業式・修了式を挙行できますことは、誇らしく、大きな喜びであります。

総数2,138名の方が所定の全課程を修了し、晴れて本日のこの式典に臨むことができますのは、皆さん自身の平素の切磋琢磨の賜物であり、深く敬意を表します。このなかには、6カ国1地域65名の留学生も含まれています。留学生の方たちは異文化の中でさまざまな困難に直面したことでしょうが、それを克服し、立派に初志を貫徹されました。その努力を心から讃えたいと思います。同時に、これまでの長い学校教育の期間、皆さんのご家族、恩師、友人、そして社会から受けた恩恵には計り知れないものがあります。また、皆さんが大学生活を送った本学は、大阪市民の大学として265万の市民によって支えられてきたという事実にも思いを致していただきたいと思います。

皆さんの多くは間もなく社会に巣立ち、高度な専門的職業人となることが期待されています。また、大学院に進学してさらに学業を続ける人、病院等で研修を受ける人、一人前の研究者として第一歩を踏み出す人もおられます。いずれにしましても、大阪市立大学の卒業生・修了生の名に恥じないよう努力し、それぞれの領域で自らの目標を達成してください。本学では、それが実現できる教育に努めてきました。自信と誇りを持ってこれからの人生を歩んでください。

さて、私は皆さんの本学への入学に際し、本学の小史を引き合いに出して、大学での勉学のあり方についてお話いたしました。ひとつは、偏見のない懐疑的な態度をもち、しかも自分と対立する考え方にも耳を傾ける謙虚さを養うこと。それによって、知識に深みと広がりが与えられ、観念に過ぎなかったことがより具体性を帯び、創造的な活力や心の豊かさが育くまれるということでありました。もうひとつは、そうした勉学態度を通じて、何が真で何が偽か、いずれが善でいずれが悪か、何が是で何が非かを、自らの意思で選択することのできる価値判断力を習得して欲しいということを申しました。社会に出てからも絶えず努力し、この価値判断力に磨きをかけることを願っています。これからの人生において、皆さんはいろいろな困難に遭遇して苦悩することでありましょうが、努力と精進を怠らず確固とした信念にもとづいた判断をし、より創造的な自己を形成することに努めてください。

そうした際に、これまでの学校生活で得た、あるいはこれからの社会生活で得るであろう真の友人が大いに助けとなることでしょう。中国の唐の時代の禅僧百丈懐海(ひゃくじょうえかい)は、「我を生む者は父母、我を成す者は朋友」といっています。私は父母から生まれてきたにちがいないが、本当に私を育ててくれるのは、父母ではなくて友人である。真の友人は、嬉しいときには一緒に喜んでくれ、悲しいときには共に泣いてくれます。幸いにも本学で真の友人に恵まれた人は、この友情が失せることのないよう、今後も連絡を密にすることです。また、これからの新しい環境の中で積極的に人と交わり、自分の専門とする領域以外の人たちとも交流し、そのことをとおして視野を拡げていくことが望まれます。

ちなみに私は社会心理学という学問を専攻していますが、若い頃はアメリカの最先端のテーマを探求する一方で、日本人の宗教観を社会心理学的な視点から分析する仕事も細々としておりました。社会心理学は戦後にアメリカで盛んとなった学問で、当時の日本の社会心理学はアメリカ由来の理論や概念を金科玉条のように用い、アメリカモデルを検証することが学会の主流でありました。(もっとも現在は日本の社会心理学も随分進歩し、日本発の理論が国際学会で論議されるようになっていますが。)私が大阪市立大学の助手として採用されたのもそうした研究が評価されたわけです。しかし、40歳の頃、日本の文化や日本人の心情を研究したいという思いが強くなり、煩悶の末、いわば異端ともいえる後者のテーマに本格的に挑戦することを選択したのです。とはいえ、それまでの日本の社会心理学ではほとんど手がけられていないので参考とする文献もないし、第一自分のやっている研究が妥当なものかどうかも分からない。そうしたときに恩師が励ましてくれたり、社会学や宗教学などの異分野の研究者の方々との交流をとおして大きな示唆を得ることができたりして、研究に自信と誇りを持てるようになりました。振り返ってみて、私の研究はそうした人たちとの交流のうえに成り立っているのだ、と心底から思うのです。人間は自尊心や誇りをもってこそ仕事にまい進し、生きがいを抱くことができる存在ですが、それには自己の努力だけではなく、周囲に理解者がいるという感覚がきわめて大切であることを実感しています。

ところで、これからの皆さんの職業生活の中で、自分の専攻した学部の専門とは違った分野の勉強や、より高度な勉学を必要とする場合が多くなるでしょうが、そうしたときには、創造都市研究科をはじめ本学の各研究科が用意している社会人大学院の門を叩かれることをお奨めします。

さて、皆さんの生きる21世紀の社会はますますグローバル化が進むとともに、価値観が多様化し、競争と技術革新が激化していきます。グローバル化は経済活動を活性化し、多文化共生社会の道を開きましたが、他方において地球環境の破壊、二極分化の格差社会、文化間摩擦やテロリズムなど、むしろ多くの影の部分を浮き彫りにしています。それを主導しているのが超大国のアメリカ合衆国で、京都議定書の批准さえも拒否し、さながらアメリカ帝国主義の様相を呈しています。日本研究家で知られているイギリスの労働社会学者のロナルド・ドーアは、アメリカ主導のグローバル・スタンダードを信奉し追随する必要はないとして、条件付で日本型資本主義を擁護していますが、このような問題の推移の見極めにはまだまだ時間を要するでしょう。いずれにしても、グローバル化がもたらす問題は、これからの社会を生きる皆さんには避けて通ることのできない課題ですが、本学で教育を受けた皆さんには、そうした事態をただ傍観するのではなく、その矛盾に目を向け、その解決に努力しようとする広い視野と公共心を備え、社会で立派に責任を果たしていただきたく思います。そのためには、文化を異にするために生じる根本的な意見の相違から身を退かず、自分の信念を相手に理解してもらい、相手の言い分もよりよく理解しようとする態度が必要です。そしてその態度は他者に対する優しさを前提とします。

 ゲーテは、

人間はけだかくあれ、
情ぶかくやさしくあれ!
そのことだけが、
われらの知っている
一切のものと
人間とを区別する。

と詠っています。私たちは得てして自己には優しく、他者には怒りや恨みや嫉みを抱きがちでありますが、グローバル社会の中であればこそこうした自己中心的な心を抑制しなければなりません。それは難しいことかもしれませんが、司馬遼太郎さんは、小学校の6年生の国語の教科書のために書き下ろした「21世紀に生きる君たちへ」のなかで、「人間は自然によって生かされてきた。古代でも中世でも自然こそ神々であるとした。このことは、少しも誤っていないのである」、「人間は自分で生きているのではなく、大きな存在によって生かされている」とへりくだって考えることが、21世紀への希望であると述べておられます。

このことに関連した1つの事例を紹介しましょう。医学部の学生諸君の間には、解剖という経験をとおして人知を超えた自然や生命の複雑さを知ることによって、こうしたへりくだった態度が確実に育まれています。そのことは、篤志解剖全国連合会の編集した『解剖学への招待』に寄せられた学生の手記からも明らかであります。私は以前、いろんな職種・階層の人たちを対象に、死に対する態度を調べたことがあります。そのときに、死をネガティブに受け止める態度が医師においてもっとも希薄であることに驚いたのですが、これには解剖学の実習が大いに貢献していることをあらためて思ったことであります。また、最近では、養護教諭コースの学生に対する看護教育の一環として行われた解剖遺体の見学実習においても、死へのマイナスイメージが低下し、死をありのまま受容するという教育効果が見いだされております。解剖という営為が、学生諸君にとっては自然と生命への畏敬の念を育み、そしてそのことが人を分け隔てなく、暖かく受け容れる心を持つ医師及び保健師・看護師を育成するという教育目標を達成しえているのです。

科学と技術がますます高度化し、人間がそれに呑み込まれる危険性をはらんだ現代社会にあって、皆さんには自然と生命への畏敬の念を持ち、ひいては科学と技術の暴走をコントロールし、不公正な社会に異論を唱える優しさを持っていただきたいと思います。そのことがグローバル社会の光の部分を文字通り光とすることにつながることでありましょう。

それでは皆さん、市大で学んだ進取の気風と在野の精神を持ち続け、健康で幸せな生活を送ってください。皆さんの前途を祝し、卒業式・修了式の祝辞といたします。本日は本当におめでとうございました。

以上

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