・受験生の皆さんへ
・2008(平成20)年度入学式 式辞
・2007(平成19)年度卒業式・修了式 式辞
2008年4月4日
2008年3月24日
皆さん、ご卒業・修了おめでとうございます。長年にわたりご子息・ご息女を支えてこられたご家族の皆様にも心からお祝いを申し上げます。本学にとりましても、 関係各位をはじめご来賓の皆様方のご臨席を賜り、平成19年度の卒業式・修了式を挙行できますことは、誇らしく、大きな喜びであります。
総数2,138名の方が所定の全課程を修了し、晴れて本日のこの式典に臨むことができますのは、皆さん自身の平素の切磋琢磨の賜物であり、深く敬意を表します。このなかには、6カ国1地域65名の留学生も含まれています。留学生の方たちは異文化の中でさまざまな困難に直面したことでしょうが、それを克服し、立派に初志を貫徹されました。その努力を心から讃えたいと思います。同時に、これまでの長い学校教育の期間、皆さんのご家族、恩師、友人、そして社会から受けた恩恵には計り知れないものがあります。また、皆さんが大学生活を送った本学は、大阪市民の大学として265万の市民によって支えられてきたという事実にも思いを致していただきたいと思います。
皆さんの多くは間もなく社会に巣立ち、高度な専門的職業人となることが期待されています。また、大学院に進学してさらに学業を続ける人、病院等で研修を受ける人、一人前の研究者として第一歩を踏み出す人もおられます。いずれにしましても、大阪市立大学の卒業生・修了生の名に恥じないよう努力し、それぞれの領域で自らの目標を達成してください。本学では、それが実現できる教育に努めてきました。自信と誇りを持ってこれからの人生を歩んでください。
さて、私は皆さんの本学への入学に際し、本学の小史を引き合いに出して、大学での勉学のあり方についてお話いたしました。ひとつは、偏見のない懐疑的な態度をもち、しかも自分と対立する考え方にも耳を傾ける謙虚さを養うこと。それによって、知識に深みと広がりが与えられ、観念に過ぎなかったことがより具体性を帯び、創造的な活力や心の豊かさが育くまれるということでありました。もうひとつは、そうした勉学態度を通じて、何が真で何が偽か、いずれが善でいずれが悪か、何が是で何が非かを、自らの意思で選択することのできる価値判断力を習得して欲しいということを申しました。社会に出てからも絶えず努力し、この価値判断力に磨きをかけることを願っています。これからの人生において、皆さんはいろいろな困難に遭遇して苦悩することでありましょうが、努力と精進を怠らず確固とした信念にもとづいた判断をし、より創造的な自己を形成することに努めてください。
そうした際に、これまでの学校生活で得た、あるいはこれからの社会生活で得るであろう真の友人が大いに助けとなることでしょう。中国の唐の時代の禅僧百丈懐海(ひゃくじょうえかい)は、「我を生む者は父母、我を成す者は朋友」といっています。私は父母から生まれてきたにちがいないが、本当に私を育ててくれるのは、父母ではなくて友人である。真の友人は、嬉しいときには一緒に喜んでくれ、悲しいときには共に泣いてくれます。幸いにも本学で真の友人に恵まれた人は、この友情が失せることのないよう、今後も連絡を密にすることです。また、これからの新しい環境の中で積極的に人と交わり、自分の専門とする領域以外の人たちとも交流し、そのことをとおして視野を拡げていくことが望まれます。
ちなみに私は社会心理学という学問を専攻していますが、若い頃はアメリカの最先端のテーマを探求する一方で、日本人の宗教観を社会心理学的な視点から分析する仕事も細々としておりました。社会心理学は戦後にアメリカで盛んとなった学問で、当時の日本の社会心理学はアメリカ由来の理論や概念を金科玉条のように用い、アメリカモデルを検証することが学会の主流でありました。(もっとも現在は日本の社会心理学も随分進歩し、日本発の理論が国際学会で論議されるようになっていますが。)私が大阪市立大学の助手として採用されたのもそうした研究が評価されたわけです。しかし、40歳の頃、日本の文化や日本人の心情を研究したいという思いが強くなり、煩悶の末、いわば異端ともいえる後者のテーマに本格的に挑戦することを選択したのです。とはいえ、それまでの日本の社会心理学ではほとんど手がけられていないので参考とする文献もないし、第一自分のやっている研究が妥当なものかどうかも分からない。そうしたときに恩師が励ましてくれたり、社会学や宗教学などの異分野の研究者の方々との交流をとおして大きな示唆を得ることができたりして、研究に自信と誇りを持てるようになりました。振り返ってみて、私の研究はそうした人たちとの交流のうえに成り立っているのだ、と心底から思うのです。人間は自尊心や誇りをもってこそ仕事にまい進し、生きがいを抱くことができる存在ですが、それには自己の努力だけではなく、周囲に理解者がいるという感覚がきわめて大切であることを実感しています。
ところで、これからの皆さんの職業生活の中で、自分の専攻した学部の専門とは違った分野の勉強や、より高度な勉学を必要とする場合が多くなるでしょうが、そうしたときには、創造都市研究科をはじめ本学の各研究科が用意している社会人大学院の門を叩かれることをお奨めします。
さて、皆さんの生きる21世紀の社会はますますグローバル化が進むとともに、価値観が多様化し、競争と技術革新が激化していきます。グローバル化は経済活動を活性化し、多文化共生社会の道を開きましたが、他方において地球環境の破壊、二極分化の格差社会、文化間摩擦やテロリズムなど、むしろ多くの影の部分を浮き彫りにしています。それを主導しているのが超大国のアメリカ合衆国で、京都議定書の批准さえも拒否し、さながらアメリカ帝国主義の様相を呈しています。日本研究家で知られているイギリスの労働社会学者のロナルド・ドーアは、アメリカ主導のグローバル・スタンダードを信奉し追随する必要はないとして、条件付で日本型資本主義を擁護していますが、このような問題の推移の見極めにはまだまだ時間を要するでしょう。いずれにしても、グローバル化がもたらす問題は、これからの社会を生きる皆さんには避けて通ることのできない課題ですが、本学で教育を受けた皆さんには、そうした事態をただ傍観するのではなく、その矛盾に目を向け、その解決に努力しようとする広い視野と公共心を備え、社会で立派に責任を果たしていただきたく思います。そのためには、文化を異にするために生じる根本的な意見の相違から身を退かず、自分の信念を相手に理解してもらい、相手の言い分もよりよく理解しようとする態度が必要です。そしてその態度は他者に対する優しさを前提とします。
ゲーテは、
人間はけだかくあれ、
情ぶかくやさしくあれ!
そのことだけが、
われらの知っている
一切のものと
人間とを区別する。
と詠っています。私たちは得てして自己には優しく、他者には怒りや恨みや嫉みを抱きがちでありますが、グローバル社会の中であればこそこうした自己中心的な心を抑制しなければなりません。それは難しいことかもしれませんが、司馬遼太郎さんは、小学校の6年生の国語の教科書のために書き下ろした「21世紀に生きる君たちへ」のなかで、「人間は自然によって生かされてきた。古代でも中世でも自然こそ神々であるとした。このことは、少しも誤っていないのである」、「人間は自分で生きているのではなく、大きな存在によって生かされている」とへりくだって考えることが、21世紀への希望であると述べておられます。
このことに関連した1つの事例を紹介しましょう。医学部の学生諸君の間には、解剖という経験をとおして人知を超えた自然や生命の複雑さを知ることによって、こうしたへりくだった態度が確実に育まれています。そのことは、篤志解剖全国連合会の編集した『解剖学への招待』に寄せられた学生の手記からも明らかであります。私は以前、いろんな職種・階層の人たちを対象に、死に対する態度を調べたことがあります。そのときに、死をネガティブに受け止める態度が医師においてもっとも希薄であることに驚いたのですが、これには解剖学の実習が大いに貢献していることをあらためて思ったことであります。また、最近では、養護教諭コースの学生に対する看護教育の一環として行われた解剖遺体の見学実習においても、死へのマイナスイメージが低下し、死をありのまま受容するという教育効果が見いだされております。解剖という営為が、学生諸君にとっては自然と生命への畏敬の念を育み、そしてそのことが人を分け隔てなく、暖かく受け容れる心を持つ医師及び保健師・看護師を育成するという教育目標を達成しえているのです。
科学と技術がますます高度化し、人間がそれに呑み込まれる危険性をはらんだ現代社会にあって、皆さんには自然と生命への畏敬の念を持ち、ひいては科学と技術の暴走をコントロールし、不公正な社会に異論を唱える優しさを持っていただきたいと思います。そのことがグローバル社会の光の部分を文字通り光とすることにつながることでありましょう。
それでは皆さん、市大で学んだ進取の気風と在野の精神を持ち続け、健康で幸せな生活を送ってください。皆さんの前途を祝し、卒業式・修了式の祝辞といたします。本日は本当におめでとうございました。
以上