食中毒から免疫栄養学研究へ

(研究分野:食品微生物学、抗加齢科学)
生活科学研究科・長寿社会食生活学分野 教授 西川禎一
2009.01.16

食品産業が大型化した現在では一度の過ちが巨大な食中毒事故につながります。とくに昨今、わが国の食の安全・安心に注目が当っていますが、この分野で中心的な活躍をされ、研究をリードされておられる西川先生にお話を伺いました。

プロフィール

1984年
大阪府立大学大学院農学研究科博士課程獣医学専攻修了(農学博士)
1985年
大阪市立環境科学研究所 研究員、研究主任
1999年
大阪市立大学生活科学部 助教授
2005年
大阪市立大学生活科学研究科 教授(現職)

専 門

食品微生物学

本学に来られることになられた経緯と、ご研究の変遷についてまずお話し下さい

私は本学の出身ではなくて、市大の少し南にあります大阪府立大学で、獣医学を専門としていた者です。博士号を取得してから、東京大学医科学研究所の実験動物研究施設でさらに修行を積みました。始めは大阪市立環境科学研究所に勤務しまして、そこで激しい食中毒を起こす下痢原性大腸菌の研究を10数年やっており、イギリスの中央公衆保健研究所と共同研究なども実施しました。そして約10年前に大阪市立大学の食品栄養科学科へ移ってきたわけです。

市大に移ってきたのを機会に、わが国や先進諸国の高齢社会で問題となる「老化」と「栄養」の関連性に研究の関心が湧いてきました。それまでの研究の中心であった食中毒、その中でもとくに下痢原性大腸菌の研究に加えて、食品と免疫との密接な関連性に注目することにしました。

 

先生のご研究はそうしますと、大きくは2本柱であると言ってよろしいのでしょうか・・・・

そうですね。私たちの研究室では食品の安全性を確保する目的で食中毒細菌を中心に研究をしています。食中毒原因菌の解明、食品からの病原菌防除方法の検討、そして人の感染防御能を高める食品の探求を精力的にやっております。

先ず第1の研究分野についてですが、O-157でとくに有名になりましたが、人に激しい下痢を起こす、いわゆる「病原性大腸菌」といわれている下痢原性大腸菌について研究を続けています。私たちは今まで判っていなかった病原性大腸菌類の感染経路を明らかにしようとしております。また、食中毒菌汚染を素早く探知できる新しい手法としてのDNA検査法の開発も行いまして、特許出願もしています。

しかし、上記のような菌の存在だけで感染症が発生するのではなく、感染を受ける宿主の感受性が病気の発生に大きな影響を与えます。そこで、第2の研究分野として、「医食同源」とか「食医」、「未病」という言葉に示されている古代中国の予防医療重視の考え方に興味を持ちました。これらの言葉は、近年の予防医療への関心の高さから、しばしば聞くようになりましたが、私は現代の「食医」ともいえる管理栄養士を養成できる研究室として、「滋養強壮」という未だ漠然としてはおりますこの概念に挑戦し始めています。学問領域で言えば、「免疫栄養学」「食品免疫学」「抗加齢科学」が相当すると思います。今後の予防医療を考える上で重要な分野であると考えているからです。

 

栄養や免疫増強作用と老化との関連性への研究手法として線虫という小動物を用いる方法に注目されておられるとのことですが、まず「線虫」とはどのような生物なのかをお教え下さい

線虫は名前の示すとおり糸状の小さな動物です。人の寄生虫である回虫も松食い虫と呼ばれるマツノザイセンチュウも線虫の仲間です。このように大型のものや寄生性のものも仲間としてはありますが、私が使用しているのは小型で土中の細菌や真菌を餌にして自活している非寄生性のものです。

2002年にノーベル賞を受賞されたブレナーという発生生物学でとても有名な研究者が、人など多細胞生物の発生・分化・神経などの生命現象を解析するモデル生物として選んでから、多くの生物学や生化学の研究者が研究に使うようになりました。Caenorhabditis elegans(シー・エレガンス)とよばれる約1mmの線虫(線形動物門)の一種です。

比較的単純な生物体で見かけはヒトと非常に異なっていますが、ヒトと多くの本質的な生物学特性を共有していることがわかってきました。C. elegansの生物学的な仕組みを理解することは、ヒトについて理解することに発展していきます。

では、なぜ先生は線虫(C. elegans)を用いる方法に注目されたのでしょうか?

シー・エレガンス(C. elegans)は、土壌中に良く見られる細菌を餌にして生育する線虫のグループであるRhabditida目に属しておりまして、大腸菌を餌として実験室内で飼育する事が出来るからです。また、寿命が3週間ほどであるため種々の措置が寿命に及ぼす影響を短期間で観察できるので、老化の基礎研究にも多用されているからです。全遺伝子が既に判っており、老化に関する遺伝子も数多く同定されていて、遺伝子変異株も数多く得られているうえに、動物実験に関わる倫理上の制約が少ないので、理想的な研究材料の1つといえます。

短所としては、消化系など栄養学的な情報が不十分である点が上げられるかと思います。そこで線虫をうまく飼育し、人の食品に含まれる各種の成分(被験物質)を線虫に摂食させるオリジナルな方法を私たちは考案したわけです。現在はこの方法を用いてプロバイオティックスや種々の食品成分が老化に及ぼす影響について研究しています。

ところで、昨年新聞紙上に「食の大学院構想」というかなり大きな記事が出ておりましたが、先生のこの構想に対するご意見をお聞かせ下さいますでしょうか

フードファディズム(food faddism)という言葉をご存知でしょうか。これは科学的に立証できていないにも拘らず食べ物や栄養が、健康にまた病気に影響を与えていると過大に信じてしまう、そんな風潮をいいます。ですから昨今のテレビや新聞やチラシ、口コミなどで、「このサプリは何とか成分がたくさんあるから健康に云々・・・。」とか、「なんとかミネラルは脳の機能向上になんとか・・・。」などという宣伝が溢れてきています。

このようなフードファディズムの持つ危険性と食の効能を科学的に管理できる人材の養成がとても重要だと思うのです。管理栄養士さんはこの先頭にたっておられるのですが、食品業界の方や食に興味を持つ市民の方々からも、食品の安全・安心・機能・機作などを科学的にしっかりと勉強され、且つ社会科学的な視点と知識も同時に修められた人材が養成されるのが望ましいと思っています。大阪市立大学がこの為の先導役として、関西地区の協力大学ならびに食に関係している学校や食品関連企業と連携して、社会人や市民を対象とした「連携大学院」を作ることになれば微力ながら協力していくつもりです。しかし、現在のように大学での教育も市場原理で評価される中では、スタッフや予算基盤の確保など実現にあたってクリアーすべき難問が多すぎるように感じます。

最後に、本学の産学官連携活動に対する注文、期待などをお聞かせ下さい

各大学が法人化されて、いわゆる競争的資金を稼ぐ事が標榜されてきているようです。勿論、研究費は必要ですから、それを稼ぐ為に自分も頑張りはしますが、これが大学や研究者の目的でないことは自明のことでしょう。大阪市立大学の社会貢献は?研究者の社会的使命は?教育者として自分には何が出来るのか?こんなことを考えながら仕事をしています。本学の産学連携活動もこの様な視座に立って、コーディネーターの皆様や研究を支援くださっているスタッフの方々との良いコミュニケーションを望んでいます。私のホームページ上で、産学連携について次のようなアッピールを掲げております。「私たちに利用価値を見出していただいた研究室や企業の方とは、共同研究に積極的に応じていくつもりですので、声をかけて下さい。」と。

インタビューを終えて

西川教授の研究と教育へのお考えをお伺いする中で、ご出身が「実学」に近い獣医師であられたこと、大阪市立環境科学研究所で集団食中毒事件の対応などにあたっておられた経験から、社会貢献への思いも強く持っておられること、そしてこれらのことを基本に置かれて大学に戻られ、食に関する基礎的な学問と研究を構築されておられることなどを強く感じました。合わせて、後進の人材教育に極めて熱意のある素晴らしい先生だと深く感じました。

そして、今回のインタビューの中で、西川教授と、日本生化学会をリードされてこられた世界的な研究者であり教育者であるインタビュアーの恩師と、が、何故か重なって感じている自分に、ふと気づきました。この老生化学者は、物理化学の専門家から農学、さらに医学の部門へと研究の場を移された。そして晩年には、老化現象をエントロピーとの関連で考察され、アルツハイマーの研究でも学会をリードされた。その恩師が農学部に招聘された時に「僕は今までとは違って、「虚学」から「実学」へと研究対象を移すことにチャレンジする。」と語っておられたのを思い出しました。 西川先生どうもありがとうございました。

文部科学省産学官連携コーディネーター 中島 宏