公立大学法人大阪市立大学
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2010(平成22)年度学部卒業式・大学院修了式 式辞

平成23年3月24日

皆様、ご卒業・修了おめでとうございます。

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長年にわたりご子息・ご息女を支えてこられたご家族の皆様にも心からお祝いを申し上げます。本学にとりましても、関係各位をはじめご来賓の皆様方のご臨席を賜り、平成22年度の卒業式・修了式を挙行できますことは、誇らしく、大きな喜びであります。
総数2,243名の方が所定の全課程を修了し、晴れて本日のこの式典に臨むことができますのは、皆様ご自身の平素の切磋琢磨の賜物であり、深く敬意を表します。
このなかには、9カ国・地域の78名の留学生も含まれています。留学生の方たちは異文化の中でさまざまな困難に直面したことでしょうが、それを克服し、立派に初志を貫徹されました。その努力を心から讃えたいと思います。
同時に、これまでの長い学校教育の期間、皆様のご家族、恩師、友人、そして社会から受けた恩恵には計り知れないものがあります。また、皆様が大学生活を送った本学は、大阪市民の大学として266万の市民によって支えられてきたという事実にも思いを致していただきたいと思います。

皆様の多くは間もなく社会に巣立ち、高度な専門的職業人となることが期待されています。また、大学院に進学してさらに学業を続ける人、病院等で研修を受ける人、一人前の研究者として第一歩を踏み出す人もおられます。いずれにしましても、大阪市立大学の卒業生・修了生の名に恥じないよう努力し、それぞれの領域で自らの目標を達成してください。本学では、それが実現できる教育に努めてきました。自信と誇りを持ってこれからの人生を歩んでいただきたいと願っております。

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冒頭に、皆様とともに黙祷を捧げさせていただきましたが、この3月11日に東日本巨大地震が起こりました。観測史上、世界最大のマグニチュード9.0という未曽有の地震が我が国を襲いました。甚大な被害が明らかになり、地震そのものも恐ろしいほどのものですが、これに伴った巨大津波による水没や家屋倒壊で、岩手県陸前高田市や宮城県女川町など東北3県の太平洋側沿岸部都市は軒並み壊滅状態となりました。死者や行方不明者は当初よりはるかに多数であり、避難者は40万人を上回っているといいます。また、原発の災害も重なってきております。想像を絶する被害としか言いようがありません。私たち、関西に住む者として、神戸の大震災を経験し、関西以東の地域からも多くの援助や支援をいただき、今日の復興を経験してきております。この経験から、今回の東北地方太平洋沖地震へのより早い復興を願うとともに、皆様とともに大いに支援をしていきたいと思います。被災されました方々に謹んでお見舞いを申し上げますとともに、多くの機関や人々による復興にむけてのご努力に敬意を表したいと思います。

本学も3月12日に大阪市立大学災害対策本部を立ち上げ、該当地域出身者146名の安否確認と本学医学部附属病院からDMAT(Disaster Medical Assistance Team、災害派遣医療チーム)を即時派遣、宮野副学長を主とした公立大学の援助を目的に調査派遣するなどの支援を行いながら、長期的な支援に向けて努力しております。学生や教職員からの多数のボランティア活動への希望や義援金も受けておりますので、順次、被災地域の要請に応じて対応させていただきたいと思います。
この未曽有の災害に際して、国際的にも大変な注目があり、多数の国からの支援隊の援助などがありますが、それとは別に国際社会の目は、先進国であり、高度な社会レベルの国に起こった大災害がどのように対処され、また、どのように国民が受け入れるのかを見守っています。神戸の震災の折にも、諸外国の報道で、日本では打ち壊しや暴動などが全く起こらず、開店前のコンビニエンス・ストアの前に被災住民が列を作って並んで待っていたと驚異の驚きで報じておりました。果たして、今回はどうなのであろうかと見守っています。すでに、米ロサンジェルス・タイムス紙は特派員電にて「非の打ちどころのないマナーは、全く損なわれていない」という大見出しで、巨大な災害に見舞われたにも関わらず、思いやりを忘れない日本人を称賛しております。記事によると、足をけがして救急搬送された年配の女性が、自分の痛みがあるにも関わらず、迷惑を詫びた上で、他の被災者を案じるという様子を紹介しています。英国のデイリー・ミラー紙は被災地ルポを掲載し、「泣き叫ぶ声もヒステリーも怒りもない。日本人は威厳を持ち、なすべきことをしている」と称賛しています。被災地である宮古市の中学生たちが、自ら黙々と生活必需品や救援物資を背中に背負って連日、避難所までのボランティア活動も伝えられています。まさに日本人の真価が問われています。皆さまもきっと多くのことを感じ、思い、そして行動された方も多いと思います。このような日本人を誇りに思い、そして今後もそうあってほしいと願っています。

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さて、本年度は、本学が明治13年、大阪商業講習所の設立から数えて、創立130周年にあたります。この長い私共の歴史と伝統を踏まえて、種々の記念行事を行ってまいりました。その中の2つを、ご報告申し上げたいと思います。
従来から、大阪市と本学が双方の経営課題や都市大阪への取り組みについて、市長をはじめとした大阪市・大阪市立大学パートナーシップ協議会で議論、検討を重ねてきておりました。このような話し合いの中から、大阪市立大学創立130周年記念事業「市大中之島講座」が企画され、市民参加の公開講座としては初めて市庁舎内の市会特別委員会室で実施するものとなりました。
平成22年6月3日の第1回には、平松邦夫市長にもご参加いただき、「地方分権と大都市制度」のテーマで、法学研究科の阿部昌樹教授にお話をいただき、新聞にも大きく紹介されました。その後、9月には、「生活保護をとりまく現状と都市の再生」のテーマで、都市研究プラザ兼大学院文学研究科の水内俊雄教授に、11月には、「水辺からの都市再生について」のテーマで、工学研究科の嘉名光市准教授に、この2月には、「疲労を科学する―万病の原因である疲労を撃退する―」をテーマに、医学研究科の渡辺恭良教授にお話しをいただき、また、この折には特別に、平山佳伸厚生労働省審議官、タレントの遙洋子さんを招き、私との4人で、パネルディスカッションをいたしました。4回とも大変に盛況で、市民、市議会議員、市職員、学生など多くの方々のご参加をいただきました。ご尽力をいただきました市職員をはじめ多くの皆さまに厚くお礼を申し上げます。

もう一つの催しは、大阪市立大学創立130周年記念「生誕80年大阪が生んだ開高健」展です。2月11日から20日までの10日間を、難波パークス7Fで開催させていただきました。初日の11日には、平松市長をはじめ、開高健氏の妹である野口順子様、同窓会、学友会、南海電鉄、サントリーなど主催者、共催者、支援の方々にお集まりいただき、テープカットをさせていただきました。大阪全域に、朝から雪が積もるというハプニングもありましたが、NHKはじめ多くのテレビ、ラジオ報道をしていただくことができました。期間中、当初目標の3,000人を大幅に上回る、7,000人以上の方に来場いただき、大盛況のうちに閉幕となりました。多くの学生諸君やご父兄の方々にもご参加いただきました。また有恒会、全学同窓会、学友会の皆さまのご支援をいただきましたことを心よりお礼申し上げ、ご報告といたします。

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さて、本日は、この佳き日に、私が共鳴したお二人の女性の生きざまをお話してみたいと思います。このお二人の生き方には皆様にもきっと共鳴を感じられるのではないかと思います。
お一人目は、NHKの番組「プロフェッショナル」でも紹介されました石岡瑛子さんです。2011年、ブロードウエイ史上最高額6,500万ドル(約50億円)を投じる史上空前の超大作ミュージカル、ボノをはじめとするU2が音楽担当する「スパイダーマン」。このミュージカルのコスチューム・デザイナーに抜擢された石岡瑛子さん、当年71歳。アカデミー賞、グラミー賞、カンヌ映画祭芸術貢献賞を総なめし、近くでは北京五輪開会式の衣装デザインのデザイナーとして、デザインの力で世界を魅了している人であります。
昭和14年生まれで、5歳で父親が他界。母親一人に育てられ、随分と厳しい生活をしいられたとのことです。そのような生活であったからかもしれませんが、常々、母親から「大きくなったら仕事を持ちなさい。一人でも生きていけるように」と言われたそうです。芸大を卒業後、広告デザインの仕事に入り、無我夢中の生活から30代後半には我が国を代表するグラフィック・デザイナーの評価を受けるようになります。
40代前より、仕事は順調なのに、充実感がなく、「寒々した気持ち」と表現するようなスランプ状態に陥る。このため、40歳代になると順調な事務所を閉鎖して、ニューヨークへ全く当てもなく、心の赴くままに移住。1年間のニューヨークでの浪人生活。その中で、黒沢明監督の1954年の作品「7人の侍」を見たおり、ニューヨーカーが、当時でもすでに25年前のこの白黒映画を絶賛し、黒沢を賛美するのを耳にするという驚きを経験し、「古い作品であっても、いいものは時代や国、文化、民族を超えて感動を呼んでいる」。自分もこんな仕事をしてみたいと痛切に感じたといいます。
その後、石岡の作品集を見て、ハリウッドの映画監督で脚本家のポールシュレーダーが三島由紀夫の作品を映画化したいので、その美術監督になってほしいという依頼があったとき、「これだ!」とインスピレーションしたといいます。これがカンヌ映画祭芸術貢献賞を受賞し、一躍世界の注目を浴びることになり、今日の足跡の第一歩を歩みはじめます。
こう言ってしまえば簡単なsuccess storyのようですが、実際は本当に苦労の連続で、映画製作の素人がその美術監督をするのですから本当に血の滲むような、あるいはそれ以上の苦労と努力、息苦しいほどの責任、重圧があったろうと推測できます。1992年のハリウッド映画「ドラキュラ」でアカデミー賞、世界の最高峰「シルクドソレイユ」のサーカスのコスチューム、オペラ「ニュールンベルクの指輪」の衣装デザイン。どれも華やかで、魅力的です。
その彼女の仕事への要の言葉は1.誰にも真似ができない、独創的、2.全く新しい、革命的、そして3.どの時代でも通用する、時代超越的であることの3つの言葉であり、「与えられた条件をクリアしながら、それにとどまらずさらに高い答えを出すこと、それがプロフェッショナル」であるといいます。

もうお一方は、作家の吉永みち子さんが著作で紹介されておられますが、「吉田 都」さんです。音楽好きの方、特にクラシック音楽のお好きな方ならよくご存じと思います。 2010年6月29日の英国ロイヤル・バレエ団の日本公演の最終日、はち切れる様な熱気と興奮に満ちた東京文化会館の超満員の客席を前に、15年間の同バレエ団のプリンシパルとして吉田都さんは、「ロメオとジュリエット」のジュリエット役の最後の華麗な舞台を披露されました。すでに、2か月前の4月に本拠地であるロンドンのロイヤル・オペラハウスで「シンデレラ」を上演し、熱烈な喝采と大きく惜しまれる声を聞きながら同バレエ団を退団されました。
1965年の東京生まれと言いますから、今年で46歳。女優なら円熟したと表現とできるのでしょうが、あの激しい運動ともいえるバレエを演じるバレリーナとしては精一杯の限界を演じられてきたと思います。実際に、鍛えられた体にさえ忍び寄る年齢の壁。腰や股関節の柔軟性の低下、さらに痛みが輪をかけるようにのしかかり、限界以上のトレーニングで世界の最高位を維持し続けてこられたのですから。「本当に厳しい世界でしたね。」とご本人は思い返されます。「一瞬でも油断したらドドッと追い抜かれる。いつも戦闘モード。ロンドンでの日々はいつも前のめりで走り続けて生きてきた感じ」だったといいます。バレエの世界を見ますとロシアのボリショイバレエ団、フランスのパリ・オペラ座バレエ団、これら世界最高のバレエ団と並び称されるロイヤル・バレエ団での彼女の生きざまです。世界中から才能が結集してくる場所です。大変な世界です。
彼女は、松山バレエ学校の生徒としてローザンヌ国際バレエ・コンクールに出場し、ローザンヌ賞を受賞。このことが切掛けで、英国ロイヤル・バレエスクールへ留学。17歳です。本人の言でも、言葉は通じない、ロンドンは薄暗い、夜は長いし、イギリスなんか厭という「地獄のような孤独な生活」だったといいます。文字どおり、バレエ学校で踊っている時間が唯一の楽しみで、地獄と天国を毎日行ったり来たり。そのうち、言葉も少しずつ分かるようになり、友達もできるようになった。そんな生活だったと淡々と語っています。
卒業後、ロイヤル・バレエ団と姉妹提携のあるサドラーズ・ウエルズ・ロイヤル・バレエ団へプロとして入団。プロの舞台の厳しさという荒波をバレエへの情熱と才能、そして努力により、英国に来て5年後の1988年には同バレエ団の最高位プリンシパルになり、その7年後の1995年には東洋人女性で初めての英国ロイヤル・バレエ団にプリンシパルとして迎えられることになります。

なぜ、長々と石岡瑛子さんと吉田都さんのお話をするのかといいますと、ハリウッドやブロードウエイでの衣装デザインやコスチュームデザインはヨーロッパから米国に移入された華やかなショウ・ビジネスの激しい競争の世界であり、その根源には永い西欧社会の伝統が築いてきたノウハウとデザイン感覚があり、東洋人にはとても手に負えるジャンルとは到底想像できない職種でありましたが、石岡さんは見事にこれを超えられています。
また、バレエ音楽あるいはバレエは、これも永い歴史と伝統をもつ西欧社会の文化の華であり、かつ、長い手や足、すらっとしたプロポーション、舞台化粧の映える彫の深い顔立ちの西洋人に向くという条件が付きまとい、どちらかというと表現力に乏しい顔立ち、体型と性格を持つ東洋人に不利な芸術ジャンルともいえます。そのような中で、ロイヤル・バレエ団の至宝と評され、15年に亘ってプリンシパルを務め、大英帝国勲章OBEを受賞されるなど、その活動は東洋人の壁を見事に打ち破っておられます。
このお二人に共通なことは、40歳、あるいは17歳と全く違う条件で、アメリカ、イギリスという異国に居を移し、お二人ともほぼ30年間、必死に前向きに自分の仕事を全うしてきたことであろうといえます。我々から見ますと、人には言えない努力と溢れる様な情熱、才能があったにせよ、民族と文化を超えたグローバルな世界観を開いて見せてくれたということが大切ではないかと思います。

文化や芸術の世界でのお話をしました。経済社会を見渡せば、本学のOBであり、皆さまの先輩に当たる多くの方々が同様にその世界での頂点を極めておられます。高原記念館を寄贈いただいたユニ・チャームの創業者で現取締役ファウンダーである高原慶一朗様、小松製作所会長である坂根正弘様、大同生命会長である倉持治夫様はじめ錚々たる方々がおられます。
小松製作所会長で、日本経済団体連合会(経団連)副会長である坂根正弘様はしばしばテレビなどでもよくお話をしておられますので、皆さまもよくご存じだとは思います。
同氏は1963年に本学工学部をご卒業され、小松製作所にブルドーザーの設計技術者として入社。1989年取締役、1990年小松ドレッサーカンパニー(現コマツアメリカ)社長を経て、2001年に同社代表取締役社長兼CEO就任され、現在は取締役会長として、社業での活躍はもとより、社会的な事業にも多くの力量を発揮され、アフリカや低開発国への貢献をされておられます。たとえば、サハラ以南のサブサハラ地域の委員会委員長として、対人地雷除去活動なども行っておられます。また、コマツと縁の深い元ヤンキースの松井秀喜選手とのキャラクター契約やサポーターとしても有名です。
この坂根氏がいつも言われている言葉に「強みを磨き、弱みを改革」という言葉があります。会社経営の改革ポイントとしての言葉なのですが、この言葉は皆様が社会人として成長する秘訣にもなろうかと思います。自分の強みが何であるかを知り、弱みを見出していく。簡単なようで難しいことではありますが、大切なヒントだと思います。
さらに、坂根氏は会社の経済構造改革のための4つのポイントを挙げておられます。
1.トップの現場密着、2.方針展開、3.パートナー間の連携、そして4.グローバルレベルでの人材育成です。
社会人の心得としてもそのまま当てはまります。トップの現場密着とは、常に現場と現実を直視し、自分自身で種々の局面の判断を直接することであり、方向展開は、自分の主張や考え方、生き方に対して、周囲の人々からの意見や忠告を素直に受け、必要と感じたことには自分の生き方を転換・展開していくことというように理解できます。パートナー間の連携はまさに、その言葉のままで、皆様のよきパートナー、夫婦間のみでなく、上司や同僚、あるいは仕事相手や友人などなど多くの人々がパートナーとなりえますので、その方々との良好な関係と連携を開発・継続すること。そして自分自身をグローバルな人間へと成長させること。これから社会に出られる皆様にとっては、至言の言葉ではないかと思います。
1.トップの現場密着、2.方針展開、3.パートナー間の連携、そして4.グローバルレベルでの人材育成です。もちろん、皆様が会社や組織作りをされるときには、この4つの言葉は本来の意味をますます発揮することになると思います。

私から皆様に2つの言葉を送りたいと思います。一つは「万事休す」で、二つ目は「事に終始あり」です。
「万事休す」は「万策尽きて、もう駄目」といった折に用いられます。ところが、本来は禅の言葉で、「休息万事」、すなわち「万事を休息する」という意味であります。自分の身の回りにある細々したことをすべて一度止め、一端、何もなかったことにするというのが本来の意味だそうです。修現者に限らず、凡人であっても、あらゆる煩雑なものや環境を一度、断ち切り、それらの執着を絶つことによって、物事にとらわれない、惑わされない本来の自分を見詰め直すことが「休息万事」、すなわち「万事休す」という本来の意味であります。いろいろな事象が身の回りに生じ、皆様は思いもかけない状況に陥りこともあろうと思います。この折に、この「休息万事」のことを思い出した折には、自分自身をリセットするチャンスにできるのではないかと思います。
もう一つは私の大切にしている座右の言葉、「事には終始あり」です。よくいわれております解釈は「もの事にははじめがあって終りがある。メリハリをつけてきちんと仕事をする」といった解釈です。実はこの言葉の本当の意味もそうではなく、文字どおり「終りがあって初めて始めがある」という意味です。1日の終始、時間ごとの終始、私たちは常に短い終始と長い意味の終始を迎え、人生を全うしていく訳であります。「いつも終わりを始めの時点と認識する」。始まる前にすでにスタートを切ることを認識する。実はこの言葉の意味は終わりを超えた次のスタートへの心構えにあるとされています。
皆様は本日、卒業という終わりを迎え、明日から社会人となり、また、研究者となり、この新たな日々を迎えるという始めがあります。皆様はまさに、その一つの大きな終わりの時点におられることになります。まさに「事には終始あり」であります。
「万事休す」も「事には終始あり」も、ともに生活の時間を一端断ち切り、次の時間を新しい時間にリセットして、人生の再スタートをするということを意味しています。本日のこの佳き日に、私から皆様に心をこめて贈りたいと思います。

最後に、社会、世界は急激に、あるいは過激に変化し、変容してくると思います。また、恐ろしいほどの、そして予測すらできない災害が現実に我が国に襲ってきています。このような世界においてグローバルな生き方はもう必須なことであろうと思います。本日は、社会に第一歩を歩まれる大切な日でありますが、それとともに生涯学習がはじまる初日にもなります。ご自分で体験し、経験を蓄積し、ご自分で学んでいくことが大切でありますし、また、皆さまの社会生活や職業人生活において、ご自分が専攻してきた専門とは異なった分野の勉強や、より高度な勉学を必要とする場合があろうと思います。そのような折のために、本学では社会人のためのカリキュラムを豊富に用意しております。本学もこれから、さらにグレードアップして新たな大学へと進化を続けます。機会があれば、本学の各学部・研究科の社会人のための学びの場を利用できますことをご記憶ください。また、皆様の実社会での豊富な経験と実績を学生諸君に還元していただける場もございます。種々の立場で、本学で再びお会いできることを楽しみにいたしたいと思います。
皆さま、本学で学んだ「進取の気風」と「在野の精神」を持ち続け、健康で充実した幸せな生活、そして逞しい生きざまを創ってください。皆さまの大いなる前途を祝し、本日の卒業式・修了式の私の祝辞といたします。

本日は本当におめでとう。