氏名 |
カール クレッシェル |
授与日 |
平成8年10月22日 |
クレッシェル教授は、1981年以降数度来日し、ドイツ人法学研究者と日本人法学研究者が相互に発表し合うセミナーを主催。本学においては1981年、1990年、1993年に来学し国際交流講演会で講演するなどの経験に加えて、ドイツ側の推進者の一人となって尽力され、フライブルク大学と本学の法学部間の国際交流協定を1989年に締結するに至りました。この交流協定の成果は、1991年のフライブルク大会、1993年の大阪大会、1995年のフライブルク大会という形で多くの日独法学研究者の参加の下開催されました。このように、クレッシェル教授の国際交流上の功績は、日独法学交流にとって輝かしいものであり、本学の学問研究・教育の向上をもたらし、その名を国際的に高らしめる上で極めて大きいものです。
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氏名 |
ローラント シュナイダー |
授与日 |
平成9年11月26日 |
シュナイダー教授は、ドイツにおける日本語史・日本の近代詩歌などを中心とした日本学研究の代表の一人であり、かつ、日本とドイツの学界交流の推進においてドイツ側の代表者の一人として多大な功績がありました。本学とハンブルク大学との提携やチュービンゲン大学と広島大学の提携に関する取組みの中心的役割を果たし、また、ドイツ国費留学生、日本文部省留学生の試験官を15年にわたって務めるなど、日独の学術交流及び教育に多大な貢献をされています。また、個人の研究活動においても、本学客員教授、日本学術振興会招聘研究者、国立国文学研究資料館招聘教授などとして来日し研究交流につとめ、更にDFGドイツ学術研究協会助成により研究のため来日し共同研究に参加するなど、日本の研究者との多くの深い学術交流を行っています。
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氏名 |
コウケイ ウエハラ |
授与日 |
平成9年12月3日 |
ウエハラ教授は、ブラジル土木工学界の第一級の教育者であり、現代ブラジルにおける水文学及び水理学を専攻する土木工学の権威者の一人であると同時に、国際交流活動においては、特に本学・サンパウロ大学間の学術交流において多大な貢献をされています。本学とサンパウロ大学は、大阪市とサンパウロ市が1969年に姉妹都市の提携を結んだことを発端に、1975年に学術交流協定を締結、1981年には大阪市長・サンパウロ州知事により両大学の科学技術協力に関する協定が調印されました。ウエハラ教授は、1982年にサンパウロ大学からの初めての派遣教員として本学及び国内各地で講演を行うなど学術交流の進展に寄与し、翌年より両大学の研究者の相互派遣が開始されると、サンパウロ大学側の学術交流専門委員として、本学から派遣された研究者のサポートに尽力され、その成果もあって1994年には両大学の学長により新たな学術交流協定が締結、相互派遣の研究者の規模及び分野の拡大に尽くされました。 |
氏名 |
ディーター ライポルト |
授与日 |
平成10年9月28日 |
ライポルト教授は、民事訴訟法等の分野で国際交流上、多大な業績を残しています。1976年の初来日以降、多くの日本人留学生を受け入れるなど双方向の研究交流と人的交流に貢献されました。ライポルト教授の尽力により、多くの日本人研究者が学位論文、雑誌論文への投稿という形で研究成果を発表する機会を与えられ、日本の研究をドイツ・ヨーロッパに紹介する上で大きな力となりました。数度の来日の際にはシンポジウムでの講演・セミナーを実施。1990年の民事訴訟法国際シンポジウム、1993年の日独シンポジウムの際にも本学へ来学され、1995年のフライブルクにおける日独シンポジウムでは開催責任者としての重責を果たされました。 |
氏名 |
森嶋 通夫 |
授与日 |
平成10年10月28日 |
森嶋教授は、一般均衡理論、投入産出分析、経済成長論、経済学説史、近代社会の発展に関する経済理論的考察など研究領域は多岐にわたり、英国と日本の経済成長に関する比較社会的観点からの考察などにおいてその功績が評価されています。大阪大学教授、英国エセックス大学客員教授、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス教授などを歴任し、大阪大学名誉教授、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス名誉教授のほかパリ第10大学、イタリア・シエナ大学、ロンドン大学において名誉博士号の授与を受け、1976年には文化勲章を受章。本学においては、1984年から1998年にかけて合計5回の国際学術交流講演会で講演を行い、本学の研究者及び一般市民に対して、森嶋教授が英国において経済学の最前線で培われた実力の成果を還元されるなど、本学の国際学術交流に多大な貢献をされました。 |
氏名 |
アーロン チカノバー |
授与日 |
平成17年2月15日 |
テクニオン-イスラエル工科大学医学部教授であり、アパポート医学研究所教授(兼任)でもあったチカノバー教授は、2003年より大阪市立大学客員教授として本学に多大な貢献をされました。また、Watcher賞(1999年)、Alkales賞(1999年)、ラスカー賞(2000年)、EMET賞(2002年)など輝かしい受賞歴をもっておられ、2004年にはノーベル化学賞も受賞されています。 |
氏名 |
高原 慶一朗 |
授与日 |
平成17年12月26日 |
本学商学部を卒業され、ユニ・チャーム株式会社代表取締役会長として日本を代表する企業経営者である高原氏は、本学学友会の設立に際し、本学後進の育成のため準備段階から主導的な立場で尽力されるとともに、初代会長に就任いただき、会長として在学生の様々な教育研究活動に対するソフト・ハード両面からの助成事業を積極的に推進されました。加えて、学友会の存在を内外に発信し大学支援組織としての発展を牽引されるなど、これまでの同窓会組織の枠組みを超えた、本学関係者を有機的に結び付ける支援体制の確立・整備を通じ、本学の運営及び教育研究の推進・発展に大きく貢献されました。 |
氏名 |
坂根 正弘 |
授与日 |
平成22年2月3日 |
本学工学部を卒業され、小松製作所代表取締役会長として日本を代表する企業経営者である坂根氏は、現在に至るまで、卓越した経営手腕と独創的な発想により、日本の経済産業界の発展に多大な貢献をされています。日本経済団体連合会常任理事など多数の公職を歴任し、日本の産業振興に関する重要な提言をされるとともに、同連合会環境安全委員会委員長という立場から、アフリカの貧困や人口増加の問題にも目を向け、広く国際貢献に関する取組の具体化についても提言され、小松製作所を含む日本企業4社が国際貢献の一環として対人地雷処理活動に参加されるなどの多大な功績を遺されました。加えて、平成20年には本学経済学部企画講座(経友会講座)において、国際経済・国際ビジネスの第一線に携わる自身の実体験を本学学生に伝えるなど、本学の教育活動にも尽力されています。 |
氏名 |
島川 勝 |
授与日 |
平成22年3月6日 |
島川教授は、弁護士及び裁判官としての30年を超える法実務の経験を経て、平成15年4月に本学大学院法学研究科教授に就任。翌年のロースクール(大学院法学研究科法曹養成専攻)創設準備に尽力され、創設後は法律実務基礎科目の授業を担当し、法実務家志望の学生の教育に全力を傾注されました。ロースクールの設置・運営上必要な実務家教員として島川教授は不可欠な存在であっただけでなく、本学出身の弁護士に個別に学生の受入を依頼し、ロースクールの学生が全員、授業料以外の追加負担なしに法律事務所でのエクスターンシップを行うことを可能にする取組を行うなど、本学へ多大な貢献をいただきました。 |
氏名 |
ロルフ シュトゥルナー |
授与日 |
平成24年10月6日 |
シュトゥルナー教授の本学の教育研究に対する貢献は、本学法学研究科が1991年よりドイツ・フライブルク大学法学部と共同開催してきた日独法学シンポジウムの成功に多大な寄与を行ってきた点にあります。日本の法学部が単独で、ドイツ有数の学問的水準を誇るフライブルク大学法学部との間で学術交流を20年以上も積み重ね、その成果をつねに両国語で公刊してきたという実績は、特筆すべきものとして我が国の学界において評価されており、また、同シンポジウムはその成果公刊物を通じて、本学の存在をドイツ語圏の研究者の間にも広く知らしめる役割を果たしています。このような本学の教育研究上きわめて大きな意義を有する日独シンポジウムの開催に、フライブルク大学を代表する形でドイツ側の取りまとめ役として参画し、組織的・学問的側面の両面に亘り、その成功に深く寄与してきたシュトゥルナー教授の功績はきわめて大きいものです。 |
氏名 |
宮本 憲一
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授与日 |
平成29年3月21日 |
宮本憲一氏は、『戦後日本公害史論』(岩波書店、2014年7月)において、戦後日本の公害史を政治経済学の立場から初めて本格的に分析しました。すなわち、世界史上に残るような戦後日本の深刻な諸公害は、地域住民の健康被害を無視してひたすら経済成長を追求する企業の起こした公害に対して、政府や学界が的確な原因究明と防止策を講じなかったために生じた政官財学の複合体によるシステム公害であること、それゆえに地域住民が住民運動と裁判闘争によって公害の克服に努めねばならなかったことを究明しました。特に、イタイイタイ病、新潟水俣病、四日市公害、熊本水俣病の四大公害裁判の分析では、裁判所が発生源と被害者の因果関係を個別の病理学的究明でなく集団の疫学的究明によって判断したことが重要であったことを指摘しました。高度成長の終焉に伴い公害行政が後退しはじめた後になって発生したアスベスト災害や原発事故などについても論及しています。これらの研究業績に加え、平成18年度「京都新聞文化学術賞」、平成28年6月「日本学士院賞」ほか多数の輝かしい受賞歴を持たれる宮本氏は、教育研究の推進・発展に大きく貢献されました。 |
氏名 |
和氣 健二郎
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授与日 |
平成29年9月29日 |
和氣健二郎氏は、昭和33年に本学医学部を卒業され、医学部附属病院で1年間のインターンシップを行った後、鈴木清教授が主宰される医学部第一解剖学の大学院生として研究を開始しました。1867年にドイツの解剖学者Kupfferが肝臓の星細胞"Sternzellen"を発見し、その詳細は長らく謎に包まれたままでした。昭和26年、群馬大学の伊東俊夫教授が脂肪貯蔵類洞周囲細胞を"fat-storing cells"(脂肪摂取細胞)と命名し報告しました。和氣氏は大学院時より、過去の様々な報告を追試しており、昭和46年には塩化金法、ゴルジ法、ビタミンA蛍光法、鈴木の鍍銀法で示された肝類洞周囲に存在する結合織細胞が全て同一であることを緻密な研究で追試して報告しました。昭和55年に執筆した総説論文により和氣氏の主張は世界が認めるところとなり、約百年の時を経てSternzellen(星細胞)が歴史に再登場しました。この星細胞の再発見以降、肝臓の臓器線維化の研究が飛躍的に発展し近年では抗線維化薬の薬剤開発に繋がってきました。 これらの功績により和氣氏は平成29年4月にアムステルダム(オランダ)で開催されたヨーロッパ肝臓学会において国際的な賞(EASL Recognition Aword)を基礎研究者として、また日本人として初めて受賞されました。 その他にも、和氣氏は解剖学、組織学に関する多数の著書、教科書を出版しており、医学教育における貢献も多大であり、本学卒業生としてのこのような業績は日本のみならず世界における本学の学術的地位の向上・発展に大きく寄与するものです。 |
氏名 |
岩澤 雄司 |
授与日 |
平成30年9月27日 |
岩澤雄司氏は、1982年4月に大阪市立大学法学部に助教授として赴任されて以来、1996年4月に東京大学に移籍されるまでの14年間、本学での教育・研究に大きく貢献しました。この間、1985年には『条約の国内適用可能性』を、1995年には『WTO(世界貿易機関)の紛争処理』を刊行しました。前者は国際法と国内法の関係、後者は貿易紛争の解決について、理論的・実証的に詳細に解明した著作で、日本の国際法学の必読文献となっています。また、1997年1月に米国バージニア大学での学位授与の対象となり、1998年に刊行された International law, Human Rights and Japanese Lawは、日本での 国際法の運用、およびそれが国際法学に及ぼす影響について、広く海外に発信したもので、世界各国で読まれています。 これらの研究での評価に基礎づけられ、2007年から、「市民的・政治的権利に関する国際規約(自由権規約と呼ばれる)」の遵守状況を監視する自由権規約委員会の委員として国際的に活躍し、委員長も2度務めました。 その他、アジア開発銀行の行政裁判所裁判官を 9 年間、国内では法務省難民審査参与員や内閣府の「第三国定住有識者会議」座長など、社会活動にも大きく貢献しています。そして 2018年6月、オランダ・ハーグにある国際司法裁判所の裁判官に選任されました。裁判官の選任は日本人として歴代4人目で、文字通り世界有数の国際法学者として認められたもので、本学の名を国際的に高からしめるうえで極めて大きいものです。 |
氏名 |
フランシス カルーン チャン |
授与日 |
平成30年9月27日 |
フランシス カルーン チャン氏は、アスピリンや非ステロイド性抗炎症薬による消化管粘膜傷害、消化管出血、ヘリコバクター・ピロリの分野において国際的に有名な臨床科学者です。これまでNew England Journal of Medicine、Lancet、Gastroenterologyなどのインパクトファクターの極めて高いジャーナルに500編以上の科学論文を発表しています。 また、アジアの消化器医療の臨床研究拠点の構築を目指した研究センター「国際消化管研究センター(英語名:SAMURAI GI Research Centre)」の共同設置や本学医学部と香港中文大学医学部間のダブルディグリープログラムの開設に尽力いただくなど、本学の国際的な教育研究活動に対する貢献は多大であり、世界における本学の学術的地位の向上に大きく貢献されました。 |