歴史
「大阪商業講習所」からはじまり現在の「大阪市立大学」に至るまでの歴史を紹介します。
「源流」
大阪商業講習所
本学の源流である「大阪商業講習所」は、1880年(明治13年)に大阪商法会議所(現大阪商工会議所)や株式取引所(現大阪証券取引所)の生みの親であり、 「近代大阪経済の父とも言われる五代友厚をはじめ、当時の大阪財界有力者十六名によって創設されました。 「商売は学問よりも経験」と考えていた当時の大阪市民に、 五代は「欧米先進国と対等に渡り合うには、商人にも学問が必要」と説き、東京に次ぐ我が国二番目の商法学校「大阪商業講習所」を設立したのです。 その後、1889年(明治22年)には、市制特例による大阪市制の発足に伴い、「市立大阪商業学校」へと発展していきます。 地下鉄阿波座駅近くの「阿波座南公園」の一角に「大阪商業講習所跡」と記された小さな記念碑が建っています。
「堂島へ」
市立大阪商業学校
(堂島校舎)
ルネッサンス様式の近代的な校舎からは飯尾一二(大阪合同紡績社長)や野村徳七(大和銀行・野村証券創設者)をはじめ、喜多又蔵、岩本栄之助(大阪中央公会堂寄進者)、 杉山金太郎(豊年製油社長)、田中吉太郎(本学田中記念館寄進者)など、後の大阪財界を代表する人物を多数輩出しています。
「市立大阪高等商業学校」
大阪商科大学(烏ヶ辻時代)
日清戦争終了後の不況のさなかにもかかわらず、「市民自身の手で高等商校を」という大阪市民・同窓生の熱意により、1901年(明治34年)、市立大阪商業学校は、「市立大阪高等商業学校」への昇格が実現します。 そして日露戦争、北の大火を経、一世を画したといわれる「烏ヶ辻・烏丘時代」が築き上げられます。後にわが国初の市立大学「大阪商科大学」は、この烏ヶ辻校舎から誕生するのです。
「大阪商科大学」
関一大阪市長(当時)
米軍接収
「大学は都市とともにあり、都市は大学とともにある」―― ドイツ初の商科大学であるケルン大学を源泉としての都市大学、「実学」重視の自治体大学を構想した当時の市長、関一(せき・はじめ)のこの言葉は公立大学の設立が、学制によって「北海道及び府県」に限られていた当時の状況にあって、特筆に値するものでした。 関市長をはじめ、同窓生及び大阪市民の十年間に及ぶ熱心な昇格運動が結実し、1928年(昭和3年)、単科大学ながら学部・予科・高商部の三位一体構成を特色とする市立「大阪商科大学」が誕生しました。 河田嗣郎初代学長のもと、各地から優秀な教員スタッフが次々に集められ、杉本町に新学舎が建設されました。ゾンバルト文庫・福田文庫をはじめとする研究図書の充実も進み、ここに実践と理論を組み合わせた科学の殿堂が作り上げられたのです。 しかし1941年(昭和16年)の太平洋戦争開戦を境に大学は不遇の時代に突入します。軍事訓練、学徒出陣、学部学舎の兵舎転用など、苦難の戦中を乗り越えた後も、戦後に至ってなお、占領軍による杉本町学舎接収という受難の時代が続きました。
「大阪市立大学へ」
1号館(文化庁登録有形文化財)
第二次世界大戦後の学校制度の大改革により、大阪商科大学、大阪市立都島工業専門学校、大阪市立女子専門学校を統合し、 1949年(昭和24年)に新制総合大学である「大阪市立大学」が発足しました。 「文化国家・日本の全体的発展に貢献するとともに、文化的産業都市・大阪市の復興・発展に寄与し、 学理探求の自由を尊重することを基本に、理論と実際的応用との有機的な連結を重視する学風を創る」 ---恒藤恭学長の示したこの基本理念に基づき、杉本町学舎返還をはじめとする、学部・施設の整備・充実が進められました。 大阪市経済研究所もこれに合流し、四年後(昭和28年)には、それまでの法文学部を法学部と文学部に分離独立させ、 1955年(昭和30年)には大阪市立医科大学を編入して医学部を設置し、さらに1959年(昭和34年)には 理工学部を理学部と工学部に分離独立させ、ほぼ現在の陣容に近づきました。さらに保健体育科研究室(現、都市健康・スポーツ研究センター)や同和問題研究室(現、人権問題研究センター)、文化交流センターなどの組織が加わり、平成8年には附属図書館と計算センター等を統合した学術情報総合センターが、平成15年には社会人を対象とした大学院創造都市研究科が、平成18年には都市研究プラザが開設するなど、8学部・大学院10研究科の陣容を誇る日本最大の公立総合大学となったのです。 日本の都市の中で、一世紀以上にわたって自力で高等教育機関を育ててきたのは大阪だけです。 大阪市民の自由闊達なエネルギーと、これを反映した本学独自の理念が学制の発展を推進し、幾多の難関を乗り越える原動力となってきたのです。本学の歴史は、まさに近代大阪の芸術・文化発展の歴史でもあると言えます。
大阪市立大学歴代学長一覧
代 | 氏名 | 在任期間 | 出身学部等 | 専門 | |
---|---|---|---|---|---|
12 | 荒川 哲男(あらかわ てつお) |
H28.4.1~R4.3.31 | 医学研究科 | 消化器内科学 | |
11 | 西澤 良記(にしざわ よしき) |
H22.4.1~H28.3.31 | 医学研究科 | 代謝内分泌病態内科学 | |
10 | 金児 曉嗣(かねこ さとる) |
H16.4.1~H22.3.31 | 文学研究科 | 社会心理学 | |
9 | 児玉 隆夫(こだま たかお) |
H10.4.1~H16.3.31 | 理学部 | 低温物理学 | |
8 | 山本 研二郎(やまもと けんじろう) |
H4.4.1~H10.3.31 | 医学部 | 薬理学 | |
7 | 崎山 耕作(さきやま こうさく) |
S61.4.1~H4.3.31 | 経済研究所 | 地域経済論 | |
6 | 木村 英一(きむら えいいち) |
S55.7.1~S61.3.31 | 医学部 | 生理学 | |
5 | 森川 晃卿(もりかわ こうきょう) |
S46.4.1~S55.3.31 | 文学部 | ドイツ文学 | |
4 | 渡瀬 譲(わたせ ゆずる) |
S38.10.16~S46.3.31 | 理学部 | 理論物理学 | |
3 | 福井 孝治(ふくい こうじ) |
S35.10.16~S38.10.15 | 経済学部 | 経済原論 | |
2 | 細谷 雄二(ほそや ゆうじ) |
S32.10.16~S35.10.15 | 医学部 | 生理学 | |
1 | 恒藤 恭(つねとう きょう) |
S24.4.1~S32.10.15 | 法理学 |
注:昭和55年4月1日から6月30日までは学長職務代理。