2012年度交換留学レポート10月号(ドイツ ハンブルク大学)
商学部3回生 森本摩耶
こんにちは。10月に入り、天気が良く過ごしやすい日々が続いていましたが、後半になるといきなり冷えこみ気温も5度前後という、日本の真冬かと思うような寒い日々です。秋を感じることもなく、もうすっかり冬になってしまった・・・と残念に思っていると、ドイツ人には「紅葉も綺麗だし、まだ冬じゃない。これからどんどん寒くなるよ!」と言われてしまいました。しかし街に出て見かけるのは、厚手のコートにマフラー、ニット帽・・・といった完全に冬の装いの人々と、クリスマスムード全開のお店ばかりで、まだ10月だということが信じられません。これから来るドイツの冬を思うと、本当に恐ろしくなります。
さて、先日私は友人と、ノイエンガンメ強制収容所に行ってきました。
これはハンブルグから列車とバスを乗り継いで1時間くらいのところにある、ナチス・ドイツの強制収容所跡です。しかし収容所自体はもう残っておらず、囚人が実際に働いていた工場や亡くなった人々の記念館、博物館等のいくつかの建物があるだけで、他には何も無く辺り一面草原が広がっている、とても静かなところです。
ノイエンガンメ収容所は元々煉瓦工場でしたが、1938年、ベルリン北部のザクセンハウゼン強制収容所から作業囚人が送られ、囚人の仮収容所として使用されるようになりました。
1939年にはザクセンハウゼン強制収容所から独立していますが、その時点での囚人数は約1000人。1940年末には3500人、1942年末には13000人と、どんどん囚人の数は増加していき、現在では総計10万人以上の人がノイエンガンメへ連れてこられたとみられています。
ノイエンガンメにはガス室はありませんが、ブンカー(Bunker)と呼ばれる防空壕の中でガス殺が行われていたことも後に明らかになっています。ノイエンガンメは絶滅収容所ではありませんが、絞首刑やガス殺によって、少なくとも42900人もの人々が亡くなったそうです。
最初に入った記念館の中には、処刑者の名前と処刑執行日の一覧パネルが壁一面に展示されていて、一目見ただけでその数の急激な増加が分かるほどでした。何名かの名前の横には遺族からのメッセージや写真、花なども添えられており、胸が痛みました。
また、実際に囚人が労働を強いられていた工場の中にも入りましたが、しっかりとした外観と中の様子とがあまりにも違っていて驚きました。まず、窓枠はたくさんあるのにそこにはガラスではなく薄い木の板が張られているだけ、そして屋根の瓦も隙間だらけで、考えられないほど中が寒かったこと、また、全ての窓枠に木の板が張られていたため光がほとんど差し込まず、昼間であっても中はとても薄暗かったことです。こんな場所で人間が長時間働き続けるとどうなるのか、と想像することも困難でした。
その後は記念博物館を見学しましたが、そこでは当時の囚人の写真や衣類、生活用品などの展示や、当時の生活についての説明などが書かれていました。処刑された囚人の遺体はゾンダーコマンドと呼ばれる他の300人の囚人たちが焼却し、秘密保持のために3ヶ月ごとに彼らも処刑され、また新しい300人がゾンダーコマンドに任命されていたそうです。その事実も、また他の多くの展示品も、信じられないほど残酷で、言葉が出ませんでした。
ドイツに来て初めて訪れた収容所でしたが、想像以上に内容が重く、色々なことを考えさせられました。しかし、ここにいるからこそ体験でき、また、ここにいるからこそ向き合うべき事実だとも思いました。機会があれば、また他の収容所にも行ってみたいと思います。