公立大学法人大阪市立大学
Facebook Twitter Instagram YouTube
パーソナルツール
新着情報

量子化学を量子コンピュータで解く!電子構造を解明するための超高速量子アルゴリズムを開発

 プレスリリースはこちら

この研究発表は下記のメディアで紹介されました。<(夕)は夕刊 ※はWeb版>
◆8/15 日経産業新聞


 大阪市立大学の工位 武治(たくい たけじ)特任教授、理学研究科の佐藤和信(さとう かずのぶ)教授、杉崎 研司(すぎさき けんじ)特任講師らの研究チームは、従来型の最新のコンピュータでも天文学的時間がかかる(指数関数爆発という)分子の全配置間相互作用電子状態計算を量子コンピュータ上で現実時間内で計算できる「量子アルゴリズム」を開発し、このアルゴリズムをモデル系に適用しその有効性を実証しました。
 本内容は、米国東部時間で2016年8月8日午前8時、日本時間の8月8日午後9時に、米国化学会の国際学術誌であるThe Journal of Physical Chemistry Aにオンライン掲載されました。

【研究内容】
 原子及び分子の物理的・化学的性質を支配するシュレーディンガー方程式を厳密に解くことは、化学及び物理分野における究極の目標です。シュレーディンガー方程式は、量子力学の第一原理と言われ、これを厳密に解き、電子のような微視的粒子のどのような情報でも引き出せる関数である波動関数を求めることができれば、分子構造、化学反応経路、分光学的性質、分子物性等を正確に予測することができます。しかしながら、一電子系など特殊な場合を除き、今日まで分子などの多電子系のシュレーディンガー方程式の厳密解は得ることができず、ざまざま数学的近似法が開発されてきました。それらの中でも、すべての電子がとりうるすべての配置を考慮する全配置間相互作用法(Full Configuration Interaction Method: FCI法)は、シュレーディンガー方程式の最適解を与えます。ところが、FCI法の計算量は、電子の数及び電子軌道の数に指数関数的に依存するため、二原子分子の窒素N2やシアン(CN)分子のような小さな分子にしか適用できず、これまでFCI法が力を発揮できる環境はなく、その実用性は乏しいと思われてきました。今回、わたしたちの研究グループは、FCI計算を量子コンピュータ上で実行できる、簡便な量子アルゴリズムを発見し、FCI計算の指数関数爆発の困難を初めて取り除きました。実際にコンピュータに実装できる量子演算回路(下図)を開発し、その有効性を現代のコンピュータを用いて実証しました(特許出願中)。
160810-1.png

【研究の背景】
 1982年にFeynmanは、量子力学の法則が支配する物理系、物質系のシミュレーションを古典コンピュータ(古典力学・電磁気学で動作する現代のコンピュータ)で行うには系のサイズに対して指数関数的時間が必要であるが、量子コンピュータ(量子力学の法則を演算原理とするコンピュータ)を用いることによって、効率的にシミュレーションができると指摘しました。2005年に、Aspuru-Guzikらは、量子コンピュータを用いることによって、量子化学のFCI計算にも使える、新しい高速アルゴリズムを提案しました。このアルゴリズムの高速化の起源は量子位相推定アルゴリズムにあり、古典コンピュータでは指数関数時間がかかる計算を多項式時間内で行えることが示されています。
 しかし、量子コンピュータでFCI計算を行うには、はじめにシュレーディンガー方程式の解によく似た、近似波動関数を準備しなければいけません。近似波動関数がシュレーディンガー方程式の解である波動関数と酷似していれば1回で計算が成功しますが、近似波動関数の精度が良くないと、膨大な繰り返し計算を行っても正しい計算結果は得られません。このような確率的な振舞いは、量子コンピュータの本質的な性質から来ています。
 さらに、量子コンピュータによるFCI計算法は、分子内に不対電子と呼ばれる、化学結合にあずからない電子を持つ開殻分子に応用しようとすると、従来の方法で近似波動関数を準備しても、不対電子数に対しては指数関数回の繰り返し計算を行わなければならず、指数関数爆発を避けられませんでした。今回、量子化学に量子コンピュータ技術を適用しようとするときに、最も困難と言われてきたこの問題を解く、量子アルゴリズムを発見しました。
 開殻分子は、スピントロニクス(電子のスピン量子性を利用する新しいエレクトロニクス)・次世代型メモリーデバイスへの応用などを目指して研究が進められている単分子磁石、化学反応で化学結合が切れたときに生成するジラジカル、光合成や生体内酵素反応など、生体内の様々な化学反応に関わる含金属タンパク質、星間物質など、物理学・化学、生物学・医学、ナノ磁性粒子・巨大磁気光学効果を示す高分子などの新機能材料科学などのさまざまな場面で重要な役割を担っています。このような開殻分子に対して、量子コンピュータを用いてFCI計算を行うために、高精度の近似波動関数を準備する方法の開発は、実用的な量子コンピュータを開発する段階において、最重要課題の一つでした。 

【本研究の特徴】
 160810-2.png今回の発見では、シュレーディンガー方程式の解である波動関数が、電子の持つスピンという内部自由度に対して、スピン対称性と呼ばれる数学的構造を持つことに注目し、FCI計算にスピン対称性を積極的に用いることによって、量子コンピュータによる開殻分子のFCI計算の成功確率を著しく高め、指数関数爆発の困難を解決しました。
図1には、水素原子5個、9個、13個を一直線に並べた5電子スピン、9電子スピン、13電子スピン系について、量子コンピュータによるFCI計算成功確率を分りやすく示しています。青色が従来の近似波動関数生成法を利用した場合、赤色が本研究で提案した近似波動関数生成法を利用した場合です。13電子スピン系に注目すると、従来の計算方法では100回の繰り返し計算を行わないと正しい答えを得ることができなかったのに対し、今回提案した計算手法では、量子コンピュータによるFCI計算1回の成功確率が70%あることが分かります。
 本研究では、量子力学の基本原理である角運動量の合成則を用い、量子コンピュータ上で、スピン対称性を満足する近似波動関数を不対電子数の2乗に比例した計算時間で生成するアルゴリズムを開発しました。同様の近似波動関数を古典的なコンピュータで準備しようとすると、不対電子数に対して指数関数時間がかかるのに対して、量子コンピュータ上では、多項式時間内で生成することができ、指数関数爆発の困難が一挙に解決することができました。

【今後の展開や応用について】
 先進国における今日の量子コンピュータの開発競争は、1993年に発表された"Shorの量子アルゴリズム"に端を発し、暗号に使われていた巨大な自然数の素数分解が量子コンピュータでは現実時間内に実行可能なことが現実味を帯びたのは記憶に新しいところです。量子コンピュータの登場は、現代の高度な暗号情報社会の崩壊をも意味するので、逆に量子力学法則の原理を用いた盗聴不可・ハッキング不可能な安全な量子暗号通信の開発、現代の古典コンピュータでは原理的に解けない問題などを解くこと、新たな量子アルゴリズムの発見や技術開発に、多くの研究者の関心を集めてきました。ごく最近では、人工知能と量子コンピュータの関連や、Big Dataを量子情報処理技術で高速処理する技術などが登場しています。量子暗号通信技術の実用化はそこまで来ているのに対して(5-10年内)、量子コンピュータの実用化は、まだ遥か先の技術であると一般に思われています。そのように思われる根拠の一つに、Shorの量子アルゴリズム発見以来、真に実用性のある、これと言った量子アルゴリズムが開発されていないことが挙げられてきました。今回の発見を契機に、新しい量子アルゴリズムの研究開発の流れが起こることが期待されます。
 本研究により、量子コンピュータを用いれば、これまで最適解を解くのが最も難しいと思われてきた開殻分子のシュレーディンガー方程式の数値解を効率的に求めることができる可能性が示されました。このアプローチを用いれば、上述したような、今までよりも安定かつ小さな単分子磁気メモリーの理論設計、世紀の課題と言われる光合成反応中心に存在するマンガンクラスターの機能解明の量子化学計算など、開殻系が関わる多くの課題はもちろん、創薬分子設計の先行量子化学計算、生体内化学反応解明のためのエネルギー計算時間の大幅な短縮などが期待されます。また、今まで実験的に試行錯誤が繰り返されてきた新奇ナノデバイスの設計、新たな熱電変換分子素子の設計などに対しても、シュレーディンガー方程式の数値解を求めることで、理論的なアプローチが可能となる可能性があります。
 最後に、今日の多くの既存の化学・生物学の領域は、非相対論的な量子力学的な取り扱いに依拠していますが、今回のアルゴリズムは、相対論的効果が表れるさまざまな電磁気学的性質を解明することに適用できるので、相対論的視点に立つ化学などの新領域の開拓に理論面から貢献できると期待されます。

【掲載誌情報】
雑誌名:The Journal of Physical Chemistry A
論文名:Quantum chemistry on quantum computers: A polynomial-time quantum algorithm for constructing the wave functions of open-shell molecules
著者: Kenji Sugisaki,* Satoru Yamamoto, Shigeaki Nakazawa, Kazuo Toyota, Kazunobu Sato,* Daisuke Shiomi, and Takeji Takui*
掲載URL: http://pubsdc3.acs.org/doi/abs/10.1021/acs.jpca.6b04932


【共同研究・資金等】
研究資金:AOARD Scientific Project on "Quantum Properties of Molecular Nanomagnets" (Award No. FA2386-13-1-4030),
科学研究費補助金新学術領域「量子サイバネティクス」Grants-in-Aid for Scientific Research on Innovative Areas (Quantum Cybernetics),
科学研究費補助金Scientific Research (B) (No. 23350011), Grant-in-Aid for Challenging Exploratory Research (No. 25620063) from Ministry of Education, Culture, Sports, Science and Technology (Japan),
内閣府FIRST 「量子情報処理技術」Quantum Information Processing Project supported by Cabinet office, Japan.