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量子コンピュータを化学研究に役立てるための鍵となる手法を開発!

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 大阪市立大学大学院理学研究科の杉﨑 研司(すぎさき けんじ)特任講師、佐藤 和信(さとう かずのぶ)教授、工位 武治(たくい たけじ)特任教授らの研究チームは、量子コンピュータを用いて分子の量子化学計算を行ったときに、量子計算が正しく実行され、求めようと思っていた電子状態が計算で得られたかを簡単に検証することができる新しい量子アルゴリズムの開発に成功しました。
 この研究成果により、酵素タンパク質の化学反応解析や、単分子メモリデバイスに適した分子の理論設計など、実際の化学研究に量子コンピュータを役立てるための道筋が初めて示されました。
 本研究成果は、国際学術誌Physical Chemistry Chemical Physics(オープンアクセス)に、2019年7月4日午後4時(日本時間)に掲載されました。

※単分子メモリ:分子1個に情報を記録することにより、1ミリ平方あたり1Tビット(T:テラ、10の12乗)を超す超高密度メモリを実現する記憶素子。

研究背景

 近年、スーパーコンピュータを含めた従来のコンピュータ(古典コンピュータという)を凌駕する性能を持つ量子コンピュータの研究が国内外で盛んに行われています。特に、原子や分子の微視的性質を支配するSchrödinger方程式を正確に解き、エネルギーを正確に求める問題(量子化学計算)は、量子コンピュータの近い将来の計算ターゲットとして注目を集めています。原子・分子のエネルギーの超精密計算は、古典コンピュータを使うと計算時間が分子サイズに対して指数関数的に増加するのに対し、量子コンピュータを用いることで計算時間の指数爆発を抑えることができ、現実時間内に計算が可能なことが示されています。現在、量子コンピュータを用いて原子・分子のエネルギーをより高速に求めるための手法や分子の安定構造を探索する手法、分子の吸光・発光波長を計算する手法など、様々な理論手法の開発研究が世界各地で活発に行われています。
 単分子メモリデバイスなどへの応用が期待されている単分子磁石や酵素タンパク質の酵素活性を担う金属クラスターなどは、その機能や分子物性が非常に注目されている分子系ですが、これらの分子は、エネルギーが最も低い電子状態の近くに数多くの電子状態が存在しており、どの電子状態が量子化学計算で求まったかを明らかにすることが重要です。量子コンピュータを用いてこれらの分子のエネルギー計算を実行したとき、求めようと思っていた電子状態が量子計算で得られたかを検証する手段がなければ、量子コンピュータを使った機能分子設計など、実際の化学研究へと応用することができません。特に、化学結合を作らず、反応性や機能性に重要な役割を果たす不対電子と呼ばれる電子を持つ分子系のエネルギー計算を量子コンピュータで実行したとき、得られた電子状態がどのような電子構造を持っているかを簡便に決定できる手法はこれまで報告されていませんでした。

※Schrödinger(シュレーディンガー)方程式:量子力学的な状態を表す波動関数の時間的変化を規定する微分方程式で、量子力学の基礎となるもの。

研究内容

 共有結合解離で生成するジラジカルや単分子メモリデバイスなどへの応用が期待されている単分子磁石、酵素タンパク質の酵素活性を担う金属クラスターの多くは分子内に不対電子と呼ばれる電子対を作っていない電子を持ち、開殻分子と呼ばれます。不対電子は分子内で上向きスピン(aスピン)状態、下向きスピン(bスピン)状態という2種類の状態のどちらかをとります。分子内に複数の不対電子をもつ開殻分子では、不対電子間に量子力学な相互作用が働くため、2つの電子スピンが平行に並ぶか反平行に並ぶかによってエネルギーが変わります。2つの電子スピンが平行に並ぶと分子は三重項状態 (S = 1)に、反平行に並ぶと一重項状態 (S = 0)にあるとして区別されます。この時の鍵となる物理量が、スピン量子数Sと呼ばれるものです。開殻分子ではエネルギーが最も低い状態である基底状態のエネルギー的近傍にスピン量子数の異なる電子状態が数多く存在しているため、基底状態のスピン量子数を決定することが非常に重要な課題となります。量子コンピュータを使うことで基底状態のエネルギーを超高速に求めることができますが、求まった電子状態のスピン量子数を明らかにしなければ電子状態を解明したことにはなりません。しかし、量子コンピュータ上で任意の波動関数のスピン量子数を決定することができる量子アルゴリズムはこれまで報告されていませんでしたが、今回初めて発見されました。
 量子コンピュータを用いた量子化学計算では、分子の電子状態を支配するハミルトニアンのもとで波動関数がどのように時間発展するかを量子コンピュータ上でシミュレートして、ハミルトニアンの固有値であるエネルギーを量子位相推定と呼ばれる手法で読み出します。同研究グループはこの量子位相推定アルゴリズムに着目し、ハミルトニアンの代わりに分子のスピン状態を特徴づけるS2演算子という演算子のもとで波動関数がどのように時間発展するかを量子コンピュータ上でシミュレートすることでS2演算子の固有値を読み出し、スピン量子数Sを決定する新規手法を開発しました。同研究グループは、S2演算子のもとでの波動関数の時間発展を量子コンピュータ上で効率的にシミュレートするために、波動関数の情報を量子コンピュータに保存するための新規手法として「一般化スピン座標マッピング法」と呼ばれる手法を提案しました。この手法は以前に同研究グループが、量子コンピュータを用いた開殻分子のfull-CI計算に適した近似波動関数を効率的に生成するために提案した「スピン座標マッピング法」 (K. Sugisaki et al, J. Phys. Chem. A2016, 120, 6459–6466.) を一般化したもので、S2演算子のようなスピン演算子を効率的にシミュレートすることができます。
 一般化スピン座標マッピング法を用い、S2演算子のもとでの波動関数の時間発展を計算する量子論理回路(量子サーキット)の例を図に示します。従来用いられてきたマッピング法で同様の量子論理回路を構築すると、必要な量子ゲートの数は100を超えるため、一般化スピン座標マッピング法を用いることで量子ゲートの数を10分の1程度に削減できることが明らかになりました。また、量子論理回路の数値シミュレーションから、非常に高い精度で波動関数の時間発展が計算でき、任意の波動関数のスピン量子数を決定できることが示されました。

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図:一般化スピン座標マッピング法を用い、S2演算子のもとでの波動関数の時間発展量子シミュレーションを実行するための量子論理回路の例。横線は量子ビットを、カラーで描かれた図形は量子ゲートを表す。

今後の展開と応用について 

 本研究により、分子内に複数の不対電子を持つ分子系について量子コンピュータを用いた量子化学計算を実行したとき、得られた電子状態がどのような電子スピン構造を持っているかを明らかにするための手法が初めて示されました。これにより、新規機能材料開発や化学反応機構解明など、量子コンピュータを実際の化学研究に応用するための道筋が示されました。
 本研究で用いたS2演算子のもとでの波動関数の時間発展量子シミュレーションは、スピン量子数Sを決定することができるだけでなく、量子コンピュータによる開殻分子の量子化学計算の高速化や新規量子アルゴリズム構築へと応用できる可能性が示されており、今後の量子コンピューティング理論の発展、特に量子アルゴリズムの開発への大きな寄与が期待されます。

資金・共同研究者・特許等について

 本研究は、AOARD Scientific Project on “Molecular Spins for Quantum Technologies” (Award No. FA2386-17-1-4040, 4041), JSPS KAKENHI Grant Numbers 17H03012, 17K05840, 18K03465の対象研究です。

掲載誌情報

雑誌名:Physical Chemistry Chemical Physics
論文名:Quantum chemistry on quantum computers: Quantum simulations of the time evolution of wave functions under the S2 operator and determination of the spin quantum number S
著 者:Kenji Sugisaki, Shigeaki Nakazawa, Kazuo Toyota, Kazunobu Sato, Daisuke Shiomi, Takeji Takui
掲載URL: http://dx.doi.org/10.1039/c9cp02546d