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極低温分子を使い電子と陽子の質量比の不変性の検証に成功

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この研究発表は下記のメディアで紹介されました。
◆9/13 科学新聞

ポイント
・電子と陽子の質量比の時間変化の測定には分子分光が有力だが、常温の分子を用いる従来の実験では精度に限界があった
・レーザー冷却によって作成した極低温の分子を用いることで高感度の測定を実現
・今後の更なる高精度化により基礎物理研究への貢献が期待される

概要

 京都大学理学研究科の小林淳特定准教授(兼JSTさきがけ専任研究者)と大阪市立大学大学院理学研究科(兼 南部陽一郎物理学研究所 研究員)の井上慎教授らの研究グループは、極低温の分子を用いた精密分光実験により、物理定数である電子と陽子の質量比(~1/1836)の不変性の検証を行い、1年あたり14桁の精度での検証に成功しました。これは分子を用いた最も高精度な検証実験になります。
 これまでに、極低温の原子を用いた実験で電子陽子質量比の不変性の検証は行われていましたが、電子陽子質量比の変化に対する原子準位のエネルギーの変化率の理論予想の精度が低いことが問題でした。これに対して、分子準位のエネルギーは電子陽子質量比の変化に直接的に変化するため、変化率を高精度に予想可能です。これまで分子を用いた検証実験も行われていましたが、常温の分子を用いていることから、これ以上の高精度化が難しい状況でした。
 本研究グループはこれまでの研究で、極低温の分子を生成し、さらに振動や回転などの分子の自由度を制御する技術を開発していました。今回の研究ではそれを電子陽子質量比の不変性検証に応用しました。特に、電子陽子質量比の変化に敏感な準位と鈍感な準位が近接している組み合わせを見出し、それらの間のエネルギー差を高精度に分光測定することで、検証を行いました。これらの準位を用いることにより、測定する周波数の精度に対して、1.5万倍も増幅された精度で電子陽子質量比の不変性が検証されます。測定の結果、常温の分子を使った測定よりも5倍以上高精度な検証を実現しました。
 今後は極低温の分子をレーザー光で真空中に保持することによって、さらなる高精度化が期待されます。現在、2〜3桁の精度向上に向けた新たな装置を開発中です。基礎物理定数の不変性検証の実験をダークマター探索の研究に応用する研究も進められるなど、今後の基礎物理学への貢献が期待されています。
 本研究成果は、2019年8月21日に国際学術誌「Nature Communications」のオンライン版で公開されます。

1.背景

 微細構造定数(α~1/137)や電子と陽子の質量比(μ~1/1836、以下μと呼ぶ)などの無次元の物理量は、現在の宇宙においてなぜこれらの値になっているのか、さらに時間・空間的に変化するのかどうかは、現在の理論では答えることのできない謎となっており、実験的に検証するべき問題となっています。特に、これらの値に変化を及ぼす現象は全く見つかっていないことから、新しい物理法則に直結する問題となっており、可能な限り高精度に検証を行うことが重要となっています。
 これまでに極低温に冷却された原子を用いた実験によって、μの不変性が検証されていますが、μの変化に対する原子エネルギーの変化率を予想する計算には大きな不確かさがありました。これに対して分子の振動・回転エネルギーはμの変化に対して直接的に変化することが自明であり、変化率の高精度な予想も可能であるため、分子を用いた検証実験も重要視されています。ただし、これまで行われている検証実験では常温の分子を用いているために、これ以上精度を上げることが難しい状況です。他方で、理論的にはμの変化に対する変化率の大きい分子準位と、変化率の小さい分子準位が近接する準位間の分光実験によって、測定の感度を大きく増幅できることが指摘されていました。
 本研究グループは、レーザー冷却された極低温原子から極低温分子を生成する技術(光会合, 注1)に加え、極低温分子の振動・回転・電子スピン・核スピンなどのすべての自由度を制御する技術(誘導ラマン断熱遷移, 注2)を開発していました。

2. 研究手法・成果

 本研究グループは、極低温分子の生成・制御技術を応用し分子の分光実験(図1)を行うことで、まずμの不変性検証に最適な分子準位のペアを特定しました。図2に示すように、KRb分子にはX1Σ+とa3Σ+の2つの分子ポテンシャルが存在しますが、これらの深さが大きく異なるために、それぞれに属する振動準位ではμの変化に対する感度が大きく異なります。分光実験によりμの変化に高感度なX1Σ+, v=86と低感度なa3Σ+, v=16が非常に近接することを見出しました。これらの準位間のエネルギー差の測定によって、測定された周波数の精度に対して1.5万倍も増幅された精度でμの不変性検証が実現されることが分かりました。この大きな増幅率は分子が持つ多様なエネルギー構造を巧みに利用した結果です。
 この遷移の共鳴周波数をマイクロ波遷移によって測定しました。信号の線幅は50Hz程度(図3)ですが、これは測定中に分子が拡散し観測領域から逃げ出すことによって制限されています。この共鳴周波数の測定を、数か月程度の時間間隔を開けて行うことで、μの不変性の検証を行いました(図4)。その結果、1/μ・dμ/dt = (0.3±1.0) × 10-14/年という値での検証を実現しました。これは極低温分子を使ってμの不変性検証を行った初めての実験であり、これまでの常温の分子を用いた検証実験よりも5倍以上高精度な検証となっています。

3. 波及効果・今後の展開

 今回の測定では、分子をトラップしていないために、分子が拡散してしまうことで分光線幅が制限されています。今後の研究で極低温分子を光格子(注3)にトラップすることで、分子の拡散を抑えて観測時間を長くすることによって、1Hz程度まで線幅を細くできると考えられます。現在、そのための新たな実験装置を開発中です。そこでは分子の光格子によるトラップに加え、分子数も大幅に増やすことによって分光精度を向上させ、今回よりも2〜3桁高い精度でのμの安定性評価を目指しています。
 物理定数の安定性評価実験をダークマターの探索に使う研究も進められるなど、物理定数の変化は未知の物理に直結しています。今後もさらに高精度化を進めることで、基礎物理学へ貢献していくことが期待されます。

4. 研究プロジェクトについて

 本研究成果は、以下の事業・研究領域・研究課題の助成を受けて行われました。
戦略的創造研究推進事業 個人型研究(さきがけ)
研究領域:「光の極限制御・積極利用と新分野開拓」 (研究総括:植田 憲一 電気通信大学 名誉教授)
研究課題名:光共振器増幅された光格子中での冷却分子の精密分光(JPMJPR17P5)
研 究 者:小林 淳(京都大学理学研究科 特定准教授、JST さきがけ専任研究者) 研究実施場所:京都大学
研究期間:平成29年11月~令和3年3月

用語解説

注1)光会合
極低温の原子集団に対して、励起分子状態に共鳴するレーザー光を入射することによって、2つの極低温原子を会合させて極低温分子を生成する手法。

注2)誘導ラマン断熱遷移(STImulated Raman Adiabatic Passage、STIRAP)
2本のレーザー光で形成されるΛ型の3準位系において、レーザー光の強度を断熱的にさせることで、100%に近い効率で始状態から終状態へ状態を変化させる手法。分子を任意の振動準位へと遷移させることが可能。

注3)光格子
レーザー光の干渉によって形成される周期的なポテンシャル。光格子により極低温分子を真空中に長時間保持できる。

論文タイトルと著者

タイトル:“Measurement of the variation of electron-to-proton mass ratio using ultracold molecules produced from laser-cooled atoms”(レーザー冷却された原子から生成された極低温分子を使った電子・陽子質量比の変化の測定)
著  者:Jun Kobayashi, Atsushi Ogino and Shin Inouye
掲 載 誌:Nature Communications
DOI:10.1038/s41467-019-11761-1

参考図

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図1 実験の概略図
初めに磁気光学トラップによってRb原子とK原子のレーザー冷却を行う。その冷却原子集団から光会合によってKRb分子を生成する。その後STIRAPによってμの不変性検証に用いる準位へと遷移させる。マイクロ波を照射して遷移した分子をパルスレーザーでイオン化しMCP(イオン検出器)で高感度に検出する
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図2 μの不変性検証に用いた分子準位
KRb分子は基底状態にX1Σ+とa3Σ+の2つのポテンシャル持つ(左)。ポテンシャルの浅い領域では、X1Σ+とa3Σ+の振動準位が非常に近接する組み合わせがある(中央)。さらに拡大すると電子スピンと核スピン間の超微細相互作用による細かい構造を持つが、その中でもより近接する組み合わせを採用した(右)。感度が高い準位(X1Σ+)と感度が低い準位(a3Σ+)が近接する組み合わせを用いることで、測定する周波数精度の1万倍以上の精度でμの安定性が評価される。cm-1はエネルギーの単位であり、1cm-1を周波数に換算するとおよそ30GHz、温度にして約1.4Kに相当する。
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図3 マイクロ波遷移の典型的なスペクトル
図2で示した準位間のマイクロ波遷移によって得られたスペクトル。このスペクトルは6時間の測定で得られた約10万点のデータを使って得られたものである。エラーバーは平均値の標準偏差を表している。中心周波数を求めるためにガウス関数でフィッティングしており、上部に残差を示している。このフィッティングから中心周波数を±100mHzの不確かさで決定できる。
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図4 μの安定性評価
図3のような測定を数ヶ月の時間間隔で評価することで、μの安定性の評価を行った。測定はほとんど誤差範囲内に収まっており、μの変化は測定誤差の範囲以下であると言える。