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スピン状態間のエネルギー差を直接求めることができる新規量子アルゴリズムの開発に成功!

2020年12月25日掲載

研究・産学

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本研究のポイント

◇  子コンピュータを用いると、原子・分子のエネルギーを精密に求める量子化学計算が超高速で実行できる。
◇  分子は「スピン量子数」が異なると化学反応性なども異なるため、エネルギーが最も低い基底状態のスピン量子数を決定すること、および「スピン量子数」が異なる電子状態(スピン状態)間のエネルギー差を正確に求めることは極めて重要である。
◇  これまで、スピン状態間のエネルギー差を求めるには、それぞれのスピン状態の全エネルギーを計算する必要があった。
◇  量子力学の根本原理である「量子重ね合わせ状態」を上手に利用し、ベイズ推定による機械学習と組み合わせることにより、従来法よりも容易に量子コンピュータに実装でき、スピン状態間のエネルギー差を直接計算できる新規量子アルゴリズムの開発に成功した。

概要

  大阪市立大学大学院 理学研究科の杉﨑 研司(すぎさき けんじ)特任講師、佐藤 和信(さとう かずのぶ)教授、工位 武治(たくい たけじ)名誉教授らの研究チームは、量子コンピュータを用いて、スピン量子数が異なる電子状態(スピン状態)間のエネルギー差を直接計算することができる新規量子アルゴリズムを発表しました。これまで、スピン状態間のエネルギー差を求めるには、たとえ量子コンピュータを用いたとしても、異なるスピン状態の全エネルギーをそれぞれ求める必要がありましたが、本成果はそのような量子化学計算の常識を覆すものです。
本研究成果は、国際学術誌『Chemical Science』 (オープンアクセス)に、日本時間2020年12月24日(木)に掲載されました。

研究の背景

  近年、スーパーコンピュータを含めた従来のコンピュータ(古典コンピュータという)を凌駕する性能を持つ量子コンピュータの研究が国内外で盛んに行われています。特に、原子や分子の微視的性質を支配するSchrödinger方程式※1を正確に解き、原子や分子のエネルギーを正確に求める問題(量子化学計算)は、量子コンピュータの近い将来の計算ターゲットとして注目を集めています。原子・分子のエネルギーの超精密計算は、古典コンピュータ上で実行すると計算時間が分子サイズに対して指数関数的に増大する(指数爆発と呼ばれる)のに対し、量子コンピュータを用いると、量子力学の根本原理である「量子重ね合わせ状態」や「量子絡み合い状態」を活用することにより計算時間の指数爆発を抑えることができ、現実時間内に超精密計算が実行可能であることが理論的に示されています。
 分子の反応性や物性は電子が支配しています。電子はミクロな磁石であり、固有のスピン量子数※2 S = 1/2を持ちます。一般に、分子内で電子は2個ずつペア(電子対)を作り、逆方向を向くことによって安定化していますが、開殻分子と呼ばれる分子系では不対電子と呼ばれる、電子対を作らない電子が存在します。そして、分子内に2個以上の不対電子を持つとき、2つの不対電子の電子スピンが同方向を向きスピン量子数S = 1となるか、逆方向を向きスピン量子数S = 0となるかで分子のエネルギーが変化します。分子はスピン量子数が異なれば化学反応性や光学特性なども異なるため、スピン量子数が異なる電子状態(スピン状態)間のエネルギー差を正確に求め、基底状態(最も安定なエネルギー状態)のスピン量子数を決定することは非常に重要です。

 スピン状態間のエネルギー差は交換相互作用パラメータJという値で特徴付けられます。交換相互作用パラメータJを量子化学計算で求めるには、スピン量子数が異なるスピン状態についてそれぞれのエネルギーを計算し、エネルギーの差を求める必要があります。これまでは、エネルギー差を計算するには古典コンピュータを用いても量子コンピュータを用いても同じプロセスを経る必要がありました。

研究の内容

 交換相互作用パラメータJは、式(1)に示すハイゼンベルグハミルトニアンで定義
されます。
 H(Heisenberg)=-2∑i>jJijSi・Sj               (1)

 式(1)で、Siはi番目の不対電子に作用する電子スピン演算子です。分子が2個の不対電子を持つとき、ハイゼンベルグハミルトニアンの固有値は、スピン量子数S = 0の電子状態が3J/2, スピン量子数S = 1の電子状態が−J/2となり、エネルギー差は2Jとなります。
同研究グループはまず、図1に示すように、交換相互作用パラメータJを求める問題を、式(2)で定義する、シフトしたハミルトニアンH^'を導入し、このH^'の条件下でスピン量子数が異なる電子状態が同じエネルギーを持つようなjを求める問題へと書き換えを行いました。
        H^'=H+jS^2                            (2)

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図1. 交換相互作用パラメータJを求める問題の書き換え

 

 

 

 

 式(2)に登場するS2はスピン二乗演算子と呼ばれ、固有値としてS(S + 1)という値を与えます。式(2)のシフトしたハミルトニアンのもとでは、図1右に示すように、スピン量子数S = 0の状態はjに依存せず同じエネルギーを持ちますが、スピン量子数S = 1の状態は、E_(S=1)^'=E_(S+1)+2jというエネルギーを持ちます。そして、S2演算子にかかる係数jが交換相互作用パラメータJと一致するとき、2つのスピン状態はシフトしたハミルトニアンのもとで同じエネルギーを持ちます。
同研究グループは次に、量子コンピュータは「量子重ね合わせ状態」を計算資源として使えること、そして、broken-symmetry波動関数※3と呼ばれる波動関数├ |Ψ_BS ⟩が、スピン状態が異なる波動関数の重ね合わせ状態であり、量子コンピュータ上で簡単に準備できることに注目しました。これらの性質を用いると、交換相互作用パラメータJを求める問題は、broken-symmetry波動関数が、式(2)で定義したH^'の固有関数となるようなjを求める問題に書き直すことができます。
同研究グループが開発した量子サーキット(量子論理回路)を図2左に示します。この量子サーキットを実行すると、図2右のように、├ |Ψ_BS ⟩波動関数がH^'の固有関数となっているときには測定により必ず├ |0⟩状態が得られ、H^'の固有関数からのずれが大きいほど測定で├ |0⟩状態が得られる確率P(0)が小さくなります。この量子サーキットを用い、機械学習の一手法であるベイズ推定を適用することにより、├ |Ψ_BS ⟩波動関数がH^'の固有関数となるようなjを求めることができ、交換相互作用パラメータJが決定できます。

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図2. 開発した量子サーキット

 

 

 

 

 

 水素分子(H2)の共有結合解離や窒素分子(N2)の三重結合解離、C, O, Si原子およびNH, OH+, CH2, NF, O2分子の基底状態にこの手法に基づく数値シミュレーションを実行した結果、量子コンピュータを用いた量子化学計算における従来の手法である量子位相推定※4よりも格段に低い計算コスト(量子サーキットの長さは10分の1以下に短縮でき、かつ実装が容易な量子ゲートから成る)で、交換相互作用Jを1 kcal/mol以内の誤差で非常に正確に決定できることが分かりました。

今後の展開と応用について

 本手法は、従来の手法である量子位相推定と同様に計算時間の指数関数的加速が保証されており、なおかつ量子位相推定よりも量子コンピュータへの実装が容易で、エラー耐性にも優れた手法です。また、ほとんどの化学の問題は系の全エネルギーではなくエネルギー差を議論しますが、分子サイズが大きくなるにつれて全エネルギーは大きくなるのに対し、議論したいエネルギー差の大きさは分子サイズによらずほぼ一定です。エネルギー差を直接計算することにより、計算量の分子サイズ依存性を大幅に改善することができるので、本研究で開発した手法は特に大きな実在分子系の量子化学計算を量子コンピュータで実行するための有力なツールとなることが期待されます。
 また、提案した量子アルゴリズムは非常に一般的で、量子サーキットの入力としてbroken-symmetry波動関数以外の波動関数を用いれば、他の問題に簡単に応用することができるため、今後、同様の量子サーキットを用いた様々な量子アルゴリズムが開発されることが期待できます。

用語

※1 Schrödinger(シュレーディンガー)方程式…量子力学的な状態を表す波動関数
                       の時間的変化を決定する偏微分
                       方程式で、非相対論的な量子力学の
                       基礎となるもの。

※2 スピン量子数…電子のスピン角運動量の大きさを特徴づける量子数であり、1つの
         電子はスピン量子数S = 1/2を持つ。一般に分子は複数の電子を
         もつので、分子のスピン量子数Sはゼロおよび正の整数または
         半整数となる(S = 0, 1/2, 1, 3/2, …)。分子内では一般に2つの
         電子はペア(電子対)を作って安定化し、基底状態のスピン量子数
         はS = 0(スピン一重項状態と呼ぶ)となることが多いが、分子内
         に不対電子と呼ばれる電子対を作っていない電子を持つ分子では
         スピン量子数Sが0ではない電子状態が基底状態となる、
         あるいは基底状態のエネルギー的近傍に現れる。

※3 Broken-symmetry波動関数…分子内に不対電子を2個持つとき、安定なスピン
                状態はS = 0(スピン一重項状態)とS = 1
               (スピン三重項状態)である。
                スピン一重項状態の波動関数は式(3)のように近似
                できる。

    ├ |Ψ(S=0)⟩=1/√2 (├ |αβ⟩+├ |βα⟩)                        (3)

 ここで、├ |α⟩はスピン上向き状態 (MS = +1/2)で、├ |β⟩はスピン下向き状態(MS = −1/2)を表す。式(3)は2つの電子配置の線形結合で書かれているので、単一の電子配置で波動関数を近似する密度汎関数法(DFT)などでは直接取り扱えない。そこで、式(4)に示す、スピン三重項状態のMS = 0の波動関数との線形結合をとることで、├ |αβ⟩という単一の電子配置を用いる手法が発展した。├ |αβ⟩のような、異なるスピン状態の重ね合わせで記述される波動関数をbroken-symmetry波動関数と呼ぶ。

    ├ |Ψ(S=1,M_S=0)⟩=1/√2 (├ |αβ⟩-├ |βα⟩)                    (4)

※4 量子位相推定…量子コンピュータを用いて、波動関数の時間発展演算子などの
         ユニタリー演算子の固有値を古典コンピュータよりも指数関数的に
         速く計算できる量子アルゴリズム。量子化学計算だけでなく、
         線形方程式を解く量子アルゴリズムなど、様々な問題に応用されて
         いる。

資金情報

  本研究は、AOARD Scientific Project on “Molecular Spins for Quantum Technologies” (Award No. FA2386-17-1-4040, 4041), JSPS科研費基盤研究B (Grant No. 17H03012)および基盤研究C (18K03465)、JSTさきがけ「量子化学計算の高効率量子アルゴリズムの開発」(JPMJPR1914)の対象研究です。

掲載誌情報

【発表雑誌】Chemical Science(IF=9.3)
【論 文 名 】A quantum algorithm for spin chemistry: a Bayesian exchange
     coupling parameter calculator with broken-symmetry wave functions.
【 著 者 】Kenji Sugisaki, Kazuo Toyota, Kazunobu Sato, Daisuke Shiomi,
     Takeji Takui
【論文URL 】https://dx.doi.org/10.1039/d0sc04847j