公立大学法人大阪市立大学
Facebook Twitter Instagram YouTube
パーソナルツール
新着情報

化学研究に役立つ量子アルゴリズム~原子・分子のイオン化エネルギーを量子コンピュータで直接計算する手法を開発!~

 

プレスリリースはこちらから

この研究発表は下記のメディアで紹介されました。
◆3/17 日経電子版(WEB)

本研究のポイント

◇   量子コンピュータは量子化学計算を高速に実行できるが、エネルギー計算値の誤差
 と計算コストが反比例する。
◇   分子のエネルギーではなく、エネルギー差を直接計算する量子アルゴリズムを開発
 することで、大きな分子の量子化学計算も低い計算コストで実行できる。
◇ 原子・分子の基本的性質の1つであるイオン化エネルギーを直接計算する手法を
 提案した。

概要

 大阪市立大学大学院 理学研究科の杉﨑 研司(すぎさき けんじ)特任講師、佐藤 和信(さとう かずのぶ)教授、工位 武治(たくい たけじ)名誉教授らの研究チームは、量子コンピュータを用いてスピン量子数が異なる電子状態(スピン状態)間のエネルギー差を直接計算できる量子アルゴリズムを改良し、量子コンピュータ実機に実装しやすくするとともに、中性原子・分子が電子を放出してイオンとなるために必要なエネルギーであるイオン化エネルギーの直接計算へと応用しました。これらの結果は、化学で興味が持たれている大きな分子の量子化学計算を量子コンピュータで効率的に実行するための重要な道筋を示すものといえます。
 本研究成果は国際学術誌『The Journal of Physical Chemistry Letters』に2021年3月16日(火)20時(日本時間)にオンライン掲載されました。

研究の背景

 近年、特定の問題をスパコンなどのコンピュータよりも高速に解くことができる量子コンピュータの研究が非常に盛んに行われています。そのなかでも原子・分子のエネルギーを理論的に求め、電子状態を明らかにする量子化学計算は量子コンピュータの近い将来の計算ターゲットとして特に注目されています。しかし、量子コンピュータを用いた量子化学計算ではエネルギー計算値の誤差に反比例して計算コストが増えてしまうため、原子・分子のエネルギーを小さな桁まで正確に決定するのが非常に大変です。そのため、このままでは化学で興味が持たれているような大きな分子のエネルギーを量子コンピュータを用いて正確に決定し、量子コンピュータを化学研究に役立てることが困難です。
 ところで、ほぼ全ての化学の問題は分子の全エネルギーそのものではなく、エネルギー差を議論します。また、分子が大きくなったり、周期表で下の方に現れる重原子が入ったりすると全エネルギーは大きくなりますが、議論したいエネルギー差の大きさは分子サイズにかかわらずほぼ一定という特徴があります。同研究グループは、全エネルギーではなくエネルギー差を量子コンピュータで直接計算することができれば上述した問題が解決でき、量子コンピュータを実際の化学研究に役立てられる未来を創造できると考え、研究を進めています。

研究の内容

 同研究グループは最近、スピン量子数1が異なる電子状態(スピン状態)間のエネルギー差を直接計算することができる量子アルゴリズムを開発しました(K. Sugisaki, K. Toyota, K. Sato, D. Shiomi, T. Takui, Chem. Sci. 2021, 12, 2121–2132.)。この量子アルゴリズムはこれまで知られていた量子位相推定2と呼ばれる量子アルゴリズムよりも量子論理回路(量子サーキット)が短く、量子コンピュータへの実装が容易ですが、必要な量子ビット数が量子位相推定の2倍程度に増えてしまうという欠点がありました。今回、同研究グループは次ページの図のように量子論理回路の改良を行い、実装に必要な量子ビット数を量子位相推定と同程度まで削減することに成功しました。また、この量子アルゴリズムを原子・分子が電子を放出してイオンとなるために必要なエネルギーであるイオン化エネルギーの直接計算へと応用しました。イオン化エネルギーは原子・分子の最も基本的な物性値の1つであり、化学結合の強さや性質、化学反応を理解するための重要な指標にもなります。従来はイオン化エネルギーを求めるには中性状態とイオン化状態それぞれのエネルギーを計算する必要がありましたが、この量子アルゴリズムを使えばイオン化エネルギーを一回の計算で求めることができます。量子論理回路の数値シミュレーションから、イオン化エネルギー計算値の読み出しにかかる計算コストは原子番号や分子サイズに依存せず一定となること、量子論理回路の長さが量子位相推定の10分の1以下でイオン化エネルギーを0.1 eVの高精度で求められることを明らかにしました。

今後の展開と応用について

 これまでに報告されている量子化学計算のための量子アルゴリズムのほとんどは、全エネルギーを求めるように設計されているため、化学で興味が持たれているような大きな分子の、小さなエネルギー差を正確に求めることが困難でした。本研究で開発した手法はエネルギー差を直接計算できるので、大きな分子の計算が格段に容易になります。
 本研究で提案した手法は従来のコンピュータに対して計算速度の指数関数的な加速が保証されています。現在利用可能な量子コンピュータはノイズの影響が大きく、長い量子論理回路を正確に実行することが困難ですが、量子コンピュータハードウェアの発展により、従来のコンピュータでは現実時間内に計算ができないような大きな分子の高精度計算が本量子アルゴリズムを用いて実行できるようになると期待されます。

掲載誌情報

【発表雑誌】The Journal of Physical Chemistry Letters (IF: 6.71)
【論 文 名 】Quantum algorithm for the direct calculations of vertical
      ionization energies
【 著 者 】Kenji Sugisaki, Kazuo Toyota, Kazunobu Sato, Daisuke Shiomi,
      Takeji Takui
【論文URL 】http://dx.doi.org/10.1021/acs.jpclett.1c00283

資金・共同研究者・特許等について

 本研究は、AOARD Scientific Project on “Molecular Spins for Quantum Technologies” (Award No. FA2386-17-1-4040, 4041), JSPS科研費基盤研究C (18K03465)、科学技術振興機構(JST)戦略的創造研究推進事業さきがけ「量子化学
計算の高効率量子アルゴリズムの開発」(JPMJPR1914)の対象研究です。

用語

1 スピン量子数…電子のスピン角運動量の大きさを特徴づける量子数であり、
          1つの電子はスピン量子数S = 1/2を持つ。一般に分子は複数の
          電子をもつので、分子のスピン量子数Sはゼロおよび正の整数また
          は半整数となる(S = 0, 1/2, 1, 3/2, …)。分子内では一般に2つの
                          電子はペア(電子対)を作って安定化し、基底状態のスピン量子数
                          はS = 0(スピン一重項状態と呼ぶ)となることが多いが、分子内
                          に不対電子と呼ばれる電子対を作っていない電子を持つ分子では
                          スピン量子数Sが0ではない電子状態が基底状態となる、
                          あるいは基底状態のエネルギー的近傍に現れる。

 ※2 量子位相推定…量子コンピュータを用いて、波動関数の時間発展演算子などの
                          ユニタリー演算子の固有値を古典コンピュータよりも指数関数的に
                          速く計算できる量子アルゴリズム。
                          量子化学計算だけでなく、線形方程式を解く量子アルゴリズム
                          など、様々な問題に応用されている。